2020年6月12日金曜日

国民の安全

82年、内戦が続くレバノンに、イスラエルの戦車軍団が侵攻、レバノンの展開中だったシリア軍を排除します。その最中、私は、シリアのダマスカス空港にトランジットで降りるという経験をしました。空港からレバノン国境までは30キロ。滑走路の両側は、ぎっしり対空砲が並び、空港職員はベルトにピストルを差してしました。滑走路の写真を撮ろうとしたら、アサルト・ライフルで制されました。ま、当然ですけど。

イスラエルの戦車攻撃を可能にしたのは、イランの石油だとも言われます。79年、イラン革命が勃発。イラクのフセインは、混乱に乗じてイランに侵攻し、イラン・イラク戦争が始まります。石油を確保したい各国、シーア派革命の拡散を恐れるスンニー派国家等が入り乱れ、複雑な状況が生み出されます。例えば、米国や中国は、イランにもイラクにも武器を提供しています。イランを敵視するイスラエルは、イランの原発を空爆する一方で、米国製武器の部品供給を止められたイランにこれを横流し、見返りに石油を入手します。

レバノン内戦の激化で小康状態にあったイライラ戦争は、85年、ミサイル合戦という形で再燃。フセインは、48時間の猶予をもってイラン上空の航空機を無差別に攻撃すると宣言します。各国は、テヘランにいる自国民の救出を開始。日本は、法制上、自衛隊機を派遣できず、日本航空は労組の反対で飛べません。各国に協力を要請しますが、それぞれ自国民救出で手一杯。テヘランの日本人215名の救出は絶望的となりました。

救いの手を差し伸べたのはトルコ政府でした。明治23年、和歌山沖で遭難したトルコの軍船エルトゥールル号を救助してもらった恩を忘れていなかったのです。トルコは、多くの自国民を陸路で脱出させ、日本人全員をターキッシュ・エア機に乗せ、救出します。すごい話です。トルコに心から感謝です。この恩を忘れてはいけません。

一方、自国民を守れない日本という国は何なのかと思いました。2015年の安保関連法改正で、今は、自衛隊機を救援に飛ばすことは可能なのでしょう。しかし、憲法との関係はグレーと言わざるを得ません。日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公平と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」と書かれます。平和を願うことは当然としても、他国に自国民の安全と自由を委ねて、それを国家と呼べるのでしょうか。
オスマン・トルコのフリゲート艦エルトゥールル号 出典:Wikipedia

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