2020年6月22日月曜日

一汁一菜

私の家は、江戸期から昭和の始めまで呉服屋を営んでおりました。子供の頃、まだ商家の家風が残っており、朝食は「一汁一菜香の物(漬物)。朝に殺生をせず。」と教わりました。商売をしていると日銭が入りますが、そこから元手や給金が出るわけで、贅沢は慎みなさいということなのでしょう。昔は、旅先の宿で出される朝食がうれしく、特に塩鮭を食べられることは贅沢だと思いました。「一汁一菜」は、健康面からみれば、結構、理にかなった食事らしく、近年では、料理研究家の土井善晴さんが「一汁一菜でよいという提案」をされています。

とは言え、一般的には「一汁一菜」と言えば、粗食の代名詞なのだと思います。よく禅宗の食事作法のように語られます。実態はそれ以前からあったと思われますが、釈迦の言う「知足」から、粗食も修行の一環と理解されたのでしょう。釈迦が入滅に際し残した説法が「遺教経」。そのなかに「知足」の訓えがあります。足るを知る者は地べたに寝ていても安楽であり、 足るを知らない者は、天の宮殿に住んでも満足しない。 足ることを知らない者はいくら裕福であっても心は貧しい。京都の龍安寺のつくばいで有名な「我唯足知」も知足の訓えに由来します。

永平寺の昼食 一汁一菜香の物
ただ、釈迦は、食事について、粗食にしろ、などとは言っていないようです。貪るように食べたり、満腹になるまで食べるのはよくないとしながらも、必要な分を食べなさいと言っているようです。活動に支障をきたさない程度の適度な食事ということなのでしょう。永平寺の小食(しょうじき)と呼ばれる朝食は、今でも道元禅師が定めたとおりに出されます。メニューは、粥、ゴマ塩、漬物のみ。足りるとは思えず、修行と理解するしかないですね。なお、昼食は一汁一菜香の物、夕食は一汁二菜香の物となります。ちなみに、入山した修行僧の多くは、一か月以内に、一度栄養失調になると聞いたことがあります。

2013年、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。菊乃井の村田さんが中心になって取り組みました。村田さんの狙いの一つは、日本人の健康のために、日本の朝食に和食を復活させることだったと聞きました。日本人の朝食は、パン食が全国で平均51%。都市部なら、おそらく70~80%はいくのでしょう。パン食を選択する理由は、ほとんどが手間暇だそうです。食事を手間暇だけで考えることは、誠に悲しいことだと思います。
出典:奥井海生堂


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