
その帽子を被りながら観光していると、何人かのおっさんがたむろしている場所で、声をかけられました。「その帽子、いくらで買った?」と言うわけです。自信をもって「1ドル」と答えると、おっさんたちは腹を抱えて大笑い。やはり高すぎたか。すると最年長とおぼしきおっさんが、「おまえはザカート(喜捨)をした。神の御心に沿うことをしたんだ。」と慰めてくれました。
富める者は貧しき者に喜捨しなさい、とはクルアーンに説かれるイスラム五行の一つです。原始的とは言え、有効な富の再配分システムです。アッラーフは大したもんだと感心しました。ただ、ムスリムが、ザカートを拡大解釈して、観光客にふっかけたんじゃ、たまったもんじゃない、とも思いました。後に、イスタンブールのグラン・バザールで小さな絨毯を買うのに1時間も交渉しました。値切り倒しましたが、所要時間を考えると、値切った金額は割に合わないな、と思いました。ま、交渉の途中でトルコ・コーヒーをごちそうになりましたが。
商人の街大阪は違うようですが、多くの日本人は値切るという交渉に不慣れです。値段交渉は、商取引の基本であるにもかかわらず、値切ることは浅ましく、恥だと思う傾向があります。なぜそうなったのかについては、仏教の影響とも言われます。ただ、アジアの仏教国でも値段交渉は当たり前です。他に武家文化の影響という説や、単に交渉下手という説もありますが、どれもピンときません。ただ、一つ気になる話があります。世界で初めて正札販売、つまり値札を付けた販売を行ったのは日本だということです。
1673年、日本橋の呉服商、越後屋が正札販売を始め、皆が追随します。掛値なしの正直な商売、誠実な商売というわけです。越後屋は大いに繁盛し、今も三越として、あるいは三井財閥として、その名を轟かせます。正札販売には、もう一つ大事な側面があります。差別のない商売です。正札は人を選びません。その値段で買うなら、誰にでも売るという姿勢の現れでもあります。越後屋が繁盛した主な理由は、むしろこっちだと思います。
タンジール 出典:alamy