2020年5月24日日曜日

一隅を照らす

比叡山延暦寺の千日回峰行は、天台宗のみならず、仏教界で最も過酷な修行とされ、1200年の歴史のなかで満行者は、わずか50人。7年に及ぶ回峰行のなかでも、6年目に行われる「堂入り」は、断食・断水・断眠・断臥のまま、9日間、不動真言を唱え続けると言う過酷なもの。堂入りの前には、生き葬式が行われます。千日回峰行満行者は、大阿闍梨と称されます。

伝教大師最澄 出典:Wiki
天台宗の開祖である伝教大師最澄は、唐に渡り、天台山で密教を修めます。国家権力と一体化した奈良仏教とは一線を画し、法華経に則り、全ての人が成仏できるとしました。また、「山家学生式」を天皇に奏上し、人材育成の重要性を訴え、その理念と手法を示します。その文中に「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という言葉があります。各々の持ち場で頑張っている人がいるから国は成り立つ、といった意味ですが、原典は、司馬遷の史記にあります。

魏王が、斉王に対して、「魏には、一つで戦車12台の前後を照らせるほど光る宝石が十個ある。」と自慢します。斉王は「斉にそんな宝石はないが、一隅(持ち場)を守ることで千里を照らし、国を守っている部下たちがいる。人材こそ斉の国の宝である。」と応えたと言われます。

高度成長期の69年、急速に進む物質文明化を懸念した天台宗は、最澄の教えに則り、「一隅を照らす運動」を展開し、心豊かな人間づくりと平和で明るい社会づくりを目指しました。大乗の実践とも言えます。ところが、70年代に入り、思わぬ議論が起きます。最澄の真筆「照干一隅此即国宝」の「干」は「千」ではないか、という意見が出ました。史記に沿うならば、「千」の方が理にかなった記述だということになります。

「千」だとすれば、「千を照らす人」だけが国宝ということになります。法華経の精神にも、運動の趣旨にも、そぐいません。無論、天台宗は、「千」という読みを否定しました。当然の判断でしょう。ただ、歴史が科学的なものであるとすれば、「千」という読みも否定すべきではないと考えます。そもそも、皆が、一隅を守り、千里を照らせばいいわけですから。最澄も苦笑いしているかもしれません。

マクア渓谷