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伝教大師最澄 出典:Wiki |
魏王が、斉王に対して、「魏には、一つで戦車12台の前後を照らせるほど光る宝石が十個ある。」と自慢します。斉王は「斉にそんな宝石はないが、一隅(持ち場)を守ることで千里を照らし、国を守っている部下たちがいる。人材こそ斉の国の宝である。」と応えたと言われます。
高度成長期の69年、急速に進む物質文明化を懸念した天台宗は、最澄の教えに則り、「一隅を照らす運動」を展開し、心豊かな人間づくりと平和で明るい社会づくりを目指しました。大乗の実践とも言えます。ところが、70年代に入り、思わぬ議論が起きます。最澄の真筆「照干一隅此即国宝」の「干」は「千」ではないか、という意見が出ました。史記に沿うならば、「千」の方が理にかなった記述だということになります。
「千」だとすれば、「千を照らす人」だけが国宝ということになります。法華経の精神にも、運動の趣旨にも、そぐいません。無論、天台宗は、「千」という読みを否定しました。当然の判断でしょう。ただ、歴史が科学的なものであるとすれば、「千」という読みも否定すべきではないと考えます。そもそも、皆が、一隅を守り、千里を照らせばいいわけですから。最澄も苦笑いしているかもしれません。