2020年5月26日火曜日

お田植え

ソウルのチャンドックン(昌徳宮)にはヒウォン(秘苑)とも呼ばれる後苑があります。自然を生かした広大な庭園は、皇室から李皇太子に嫁いだ方子妃が愛した庭園でもあります。初めて見学した際に驚いたのは、李王が耕す小さな水田、李王妃が養蚕に用いる桑の木の存在でした。ガイドによれば、民の暮らしを思いやるために稲作と養蚕を行っていたとのこと。

平成天皇によるお田植え
日本でも、天皇によるお田植と皇后によるご養蚕が行われます。天皇家と朝鮮王朝との関係の現れかと思いましたが、実は、ご養蚕は明治天皇妃である昭憲皇太后が、明治4年に始め、お田植は、さらに新しく、昭和天皇が、昭和2年に始め、今に引き継がれているとのこと。李王朝のお田植・ご養蚕の歴史は、よく分かりませんが、おそらく中国の影響を受けたものではないかと思われます。

中国では、お田植は藉田(せきでん)、ご養蚕は親桑(しんそう)として、紀元前11世紀の作とされる「周礼」に記載があり、前漢の頃から、儀式として定着したとのこと。その時代から、藉田は皇帝、親桑は皇后の役割とされ、農本主義に基づく農業振興と夫婦による分業を教導することが目的だったようです。王朝が変わっても、その伝統儀式は受け継がれていきました。

唐の影響が強かった天平の頃には、日本でも藉田親桑が儀式として行われた時期があったようです。ただ、比較的早期に廃れたようです。同じ農本主義ながら、なぜ日本の皇室では藉田親桑の儀式が廃れたのか、不思議なところです。中国の皇帝は、天命により天下を治めることが役割であり、神格化されても人は人です。対して天皇は神であり、おのずと役割が違います。さすがに、神は農業指導までは行わない、ということだと思われます。

本来、皇帝が執り行うべき藉田の儀ですが、江戸時代、これを行った武士がいます。名君中の名君上杉鷹山公です。凶作にあえぐ農民を励ますために、中国の故事に明るい鷹山公が藉田の礼を行い、自ら田に入り3鍬入れた、と記録されます。武士が農業に関わることが恥とされた時代でしたが、以降、米沢藩では武士たちが率先して新田開発を行ったといわれます。
写真出典:jiji.com



マクア渓谷