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平成天皇によるお田植え |
中国では、お田植は藉田(せきでん)、ご養蚕は親桑(しんそう)として、紀元前11世紀の作とされる「周礼」に記載があり、前漢の頃から、儀式として定着したとのこと。その時代から、藉田は皇帝、親桑は皇后の役割とされ、農本主義に基づく農業振興と夫婦による分業を教導することが目的だったようです。王朝が変わっても、その伝統儀式は受け継がれていきました。
唐の影響が強かった天平の頃には、日本でも藉田・親桑が儀式として行われた時期があったようです。ただ、比較的早期に廃れたようです。同じ農本主義ながら、なぜ日本の皇室では藉田・親桑の儀式が廃れたのか、不思議なところです。中国の皇帝は、天命により天下を治めることが役割であり、神格化されても人は人です。対して天皇は神であり、おのずと役割が違います。さすがに、神は農業指導までは行わない、ということだと思われます。
本来、皇帝が執り行うべき藉田の儀ですが、江戸時代、これを行った武士がいます。名君中の名君上杉鷹山公です。凶作にあえぐ農民を励ますために、中国の故事に明るい鷹山公が藉田の礼を行い、自ら田に入り3鍬入れた、と記録されます。武士が農業に関わることが恥とされた時代でしたが、以降、米沢藩では武士たちが率先して新田開発を行ったといわれます。
写真出典:jiji.com