2020年5月18日月曜日

一握りの砂も

戦後日本を代表する政治家と言えば、吉田茂、岸信介、池田隼人等々あげられますが、なかでもカリスマ性の高さで言えば、東の田中角栄、西の瀬長亀次郎ではないかと思います。亀次郎は、沖縄県出身、新聞記者、うるま新報(現:琉球新報)社長、那覇市長、国会議員を務めた大衆運動家。沖縄県民を守るために権力と戦い、ことに占領軍と熾烈な闘争を展開した不屈の闘士です。

うるま新報社長時代には、人民党を結成したことで、軍から圧力をかけられ辞任。最高得票で立法院議員に選出されるも、政府創立式典で宣誓を拒否。難癖に近い嫌疑、裁判とも言えない裁判で2年の懲役をくらいます。那覇市長に選出されると、軍は、市への補助金を凍結します。すると多くの那覇市民が市役所に押し寄せます。「亀さんを助けろ!」のかけ声とともに、市民が納税するために集まったというのです。亀次郎の演説は、誰にでも分かるような話を、ウチナーグチ(沖縄弁)で語ります。「一握りの砂も、一滴の水も、ぜーんぶ私たちのものだ。アメリカは”ぬするれいびんど(泥棒だ)”。」占領下、占領軍への反発という状況はあったにしても、亀次郎の演説会は、多くの人々を集め、15万人という驚異的な記録すらあります。

亀次郎に関しては、2つばかり気になることがあります。一つは、琉球独立論です。自身が中心となって進めた本土復帰運動ですが、いざ返還が決まると、基地は現状維持という日米合意が成されます。基地を本土並みに抑えることが復帰運動のねらいです。日本政府に裏切られたと思って当然です。とすれば、琉球独立、あるいは独立性の高い復帰という議論があって当然です。しかし、亀次郎にその発言はありません。どう考えていたのか、聞いてみたかったところです。

今一つは、晩年、亀次郎は「自分は共産党員だったことはない」と発言している点です。最後は、自らの政党である人民党を共産党に合流させ、共産党公認として国会議員になっています。しかし、共産主義革命を目指した人ではなく、あくまでも大衆のなかにある大衆運動家だった亀次郎にとって、人民党こそがすべてだったのでしょう。

TBSが製作した「米軍が恐れた男~その名は、カメジロー」とその続編は、ドキュメンタリー映画などとは呼べない、実に薄っぺらい代物でした。ただ、亀次郎を知らない世代に、その名を伝える意味はあったかも知れません。
                                                                                                                                                写真出典:Wikipedia

マクア渓谷