うるま新報社長時代には、人民党を結成したことで、軍から圧力をかけられ辞任。最高得票で立法院議員に選出されるも、政府創立式典で宣誓を拒否。難癖に近い嫌疑、裁判とも言えない裁判で2年の懲役をくらいます。那覇市長に選出されると、軍は、市への補助金を凍結します。すると多くの那覇市民が市役所に押し寄せます。「亀さんを助けろ!」のかけ声とともに、市民が納税するために集まったというのです。亀次郎の演説は、誰にでも分かるような話を、ウチナーグチ(沖縄弁)で語ります。「一握りの砂も、一滴の水も、ぜーんぶ私たちのものだ。アメリカは”ぬするれいびんど(泥棒だ)”。」占領下、占領軍への反発という状況はあったにしても、亀次郎の演説会は、多くの人々を集め、15万人という驚異的な記録すらあります。

今一つは、晩年、亀次郎は「自分は共産党員だったことはない」と発言している点です。最後は、自らの政党である人民党を共産党に合流させ、共産党公認として国会議員になっています。しかし、共産主義革命を目指した人ではなく、あくまでも大衆のなかにある大衆運動家だった亀次郎にとって、人民党こそがすべてだったのでしょう。
TBSが製作した「米軍が恐れた男~その名は、カメジロー」とその続編は、ドキュメンタリー映画などとは呼べない、実に薄っぺらい代物でした。ただ、亀次郎を知らない世代に、その名を伝える意味はあったかも知れません。
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