2020年5月17日日曜日

南部せんべい

南部せんべいは、なかなか位置づけが難しい食品です。私は、子供のころから、おやつとして食べてきたので、菓子類と思っています。ただ、初めて食べる人たちは戸惑います。基本的には、小麦粉を水で溶いて焼いただけ。甘くない、味がない、どういう食べ物だと理解すればいいか、困るわけです。近年、B-1グランプリで、八戸せんべい汁が優勝したこともあり、多少、知名度はあがったとは思いますが、不思議な食べ物であることに変わりはないでしょう。

南部せんべいの起源は定かではないのですが、最も有力と思われる説は、南部藩の支藩である八戸南部藩が、兵糧として開発したというものです。簡単に作れる、軽い、そのまま食べられる。例え、湿気っても焼き直せば元通りになる。汁に入れてすいとんとしても食べられる。このすいとんスタイルが八戸せんべい汁ということになります。確かに優れた兵糧かもしれません。

異説もあります。八戸煎餅組合公認の起源は、長慶天皇説。南朝の長慶天皇が南部地方に巡幸されたおりのことです。空腹を感じた天皇に、とっさの知恵を発揮した赤松助左衛門が、自らの兜を使って焼き、献上したというもの。天皇は、これが気に入り、赤松の忠義は楠木正成にも劣らぬとして、赤松家の家紋である「三階松」とともに、楠木正成の家紋「菊水」も焼きいれることを許したと言われます。よほど空腹だったのでしょうね。

南部せんべいの菊水紋 出典:Livedoor
昔、南部せんべいは、どの店が焼いても、必ず菊水と三階松が焼き入れらていました。不思議に思っていました。おそらく煎餅組合が、長慶天皇説を公認した時、組合員に徹底したのでしょう。一種のブランディングですが、やや無理があるようにも思います。かつては、白せんべい、ゴマ、新作としてピーナッツ、そしてバター程度だったバリエーションは、いまや数知れず。おそらく家紋は焼き入れられていないと思います。

南部せんべいには、青い目の双子がいます。米国のクラッカーです。1792年、マサチューセッツ州ニューベリーポートで、ジョン・ピアソンが、航海用食料として開発。後に軍隊の糧食として採用され、レシピはナビスコ社へと受け継がれました。クラッカーを思えば、南部せんべいは、もっと様々な食べ方があってよいと思います。

マクア渓谷