オスマン軍の精鋭部隊イェニチェリは、強制的に徴用されたキリスト教徒の子弟で構成され、共同生活と妻帯禁止を課す一方で高い身分と報酬を与えられたエリート軍団。その洗脳に際し、音楽も活用されたのでしょう。また、多国籍、多文化圏出身の兵士で構成されるオスマン軍全体も、帰属意識を強化するために音楽をうまく使ったのでしょう。威嚇という面では、例えば、欧州の人々にとって、メフテルは、聞き慣れないオリエントの響きであり、イェニチェリの残虐さと相まって、さぞかし不気味な音楽だったのでしょう。あるいは、ペルシャの脅威、モンゴルの恐怖といった古い記憶と結びついていたのかも知れません。
メフテル自体は、テュルクの伝統音楽を土台としているのでしょうが、オスマン帝国軍楽隊は、士気高揚、威嚇、両面とも、多民族、多文化を前提として成立したと言えます。いわば、複数国家、多文化を支配する帝国の姿そのものでもあります。江戸時代以前の日本に、軍楽隊が必要なかった理由の一つがここにあります。もちろん、日本がオスマンの攻撃を受けず、メフテルを知ることがなかったからでもありますが。

写真出典:nekonoheya