しかし、その平家による支配は、長めに見ても20年程度という短さでした。清盛は、全国の武家を支配する体制、公家を抑える構造を模索中でした。「平氏にあらずんば人にあらず」とまで言わせた隆盛ぶりですが、自らのあまりも急速な政権奪取に、その支配構造がついていけなかったのでしょう。朝廷による支配体制が律令制からの転換期にあったことも負の要因だったと思われます。いずれにしても、平家の体制面での弱さを、その個性でカバーしていた清盛の死が、没落の始まりとなりました。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」 ご存じ「平家物語」冒頭の名文です。あまりにも早い勃興と没落の物語は、日本人の本質とも言える無常観に強く共鳴し、最も好まれる古典の一つとなっています。例えば、能200余曲のうち、平家物語を題材としたものは30数曲に及びます。もっとも、題材に選ばれているのは、清盛ではなく、もっぱらその子や孫たちの世代ですが。
なかでも世阿弥作「敦盛」は人気です。清盛の弟経盛の子。美少年にして、笛の名手。一ノ谷合戦の際、騎馬のまま海に入ったところを、熊谷直実に呼び止められます。わざわざ引き返した敦盛は、名乗らぬまま、首をはねられます。敵から逃げない、身分の低いものには名乗らない、矜持の高さを見せつけるような死でした。享年17歳。能では、幽霊になった敦盛と出家した直実の再会が謡われます。幸若舞「敦盛」の一節は、信長が好んだことでも知られます。「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」 武士という職業にあって、無常観はDNAそのものなのでしょう。

朝咲き夕方散る夏椿(沙羅双樹) 出典:ワルディーの京都案内