2020年4月15日水曜日

ラ・フロリディータ

アメリカ大統領が退任すると、その名を冠した図書館が建てられます。Libraryですが、資料館と訳すべきでしょうね。ジョン・F・ケネディ大統領の図書館は、ボストンにあります。博物館も兼ねた施設の地下には、彼の生い立ちや業績が展示され、まるでテーマ・パークのようです。あまり知られていないのですが、施設のなかに、全米最大のヘミングウェイ・アーカイブスがあります。部屋の前には、スコット・フィッツジェラルドからヘミングウェイに宛てた手紙が展示されています。内容は、ヘミングウェイの小説をこき下ろすもの。怒ったヘミングウェイは、手紙に赤字で「a son of a bitch!」と殴り書きしています。実にヘミングウェイらしい資料です。それにしても、なぜケネディ図書館にヘミングウェイ・アーカイブスがあるのか。それには、ちょっとしたエピソードがあります。

ヘミングウェイは、人生の後半を、キューバのハバナ郊外で過ごしました。所有する広大な農園フィンカ・ビヒアで書かれた「老人と海」は、彼にノーベル賞をもたらします。最晩年、キューバは、カストロによる革命の渦に巻き込まれます。ヘミングウェイは、カストロを支持していました。戦火を逃れていたヘミングウェイが、キューバに再入国した際には、ハバナ市民から熱烈な歓迎を受けています。革命政府樹立後、カストロは米国との関係を維持しようとしますが、親米政権を倒された米国の姿勢はかたくなで、キューバはソビエトとの関係を深めていきます。60年、革命政府が、外国人資産の国有化を発表すると、ヘミングウェイは、原稿や財産を残したまま、米国に帰国します。そして61年、ついにキューバと米国は国交を断絶。その年の夏、アイダホ州ケチャムの自宅に戻っていたヘミングウェイは、愛用のショットガンで自らの命を絶ちました。

ヘミングウェイの最後の妻メアリーは、キューバに残してきた遺品を米国に移そうとします。しかし、国交断絶のうえに、ケネディが許可したビッグス湾侵攻作戦も見事に失敗し、両国の関係は最悪の状態にありました。米国市民によるキューバ渡航も完全に禁止。困ったメアリーは、ケネディの妻ジャクリーンに計画を打ち明け、協力を依頼します。それを聞いたケネディは、米国の至宝ヘミングウェイのため、メアリーの渡航を例外的に許可します。キューバに乗り込んだメアリーは、カストロと直談判し、フィンカ・ビヒアの放棄と引き替えに、遺品の多くを運び出すことに成功しました。さすがヘミングウェイが愛した女です。


後年、メアリーは、ケネディ夫妻の尽力に感謝し、遺品のすべてをケネディ図書館に寄贈しました。現在、フィンカ・ビヒアは、ヘミングウェイ博物館として客を集め、彼が通いつめたバー「ラ・フロリディータ」は聖地となっています。いつか、その赤いカウンターで、ヘミングウェイが作ったというパパ・ダイキリを飲んでみたいものです。

La Floridita  出典:AD

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