2026年3月29日日曜日

移民大国

入院した娘を看病するために、しばらくパリに滞在しました。入院先のピティエ・サルペトリエール病院は、ルイ14世が創設したという大規模な公立総合病院であり、ソルボンヌ大学の医学部も併設されています。病院はパリ13区のセーヌ川近くにあり、我々家族も近くにアパートを借りました。13区の西は、5区のいわゆるカルチェラタンに隣接し、学生街の風情があります。東側には、国立図書館などで知られる再開発地域もあります。また、南側は、移民、特に中国系・ベトナム系移民の多い街としても知られており、欧州最大の中華街もあります。13区で印象的だったことの一つが、アフリカ系移民の多さです。病院のアシスタント系スタッフも、見舞客も半数以上がアフリカ系のような印象を受けました。

フランスは、実に独特な人口推移をたどった国です。出生率の低下という近年の先進国が直面する現象は、既に18世紀のフランスで起こっています。その背景として挙げられるのは、北部フランスにおける絶対王政や教会権力への反撥から起きた脱キリスト教化の動きであり、フランス革命によってそれが決定的なものになります。つまり、農耕社会の根幹を成してきた家父長制が、自由・平等・博愛を掲げる革命によって崩れたわけです。革命によって、相続法における長子相続は均等相続へと変えられ、土地の分散を避けるために少子化の流れが生じます。さらにナポレオン戦争における膨大な死傷者数が、人口減少に拍車をかけることになります。英国やドイツなど他の欧州諸国が人口を増加させるなか、フランスにも人口問題への懸念は存在していたようです。

それが広く認識されることになったのが、1870年に勃発した普仏戦争でした。普仏戦争は、ドイツ統一のために共通の敵を作りたかったプロシアの挑発にフランスが応じた戦争でした。強力な常備軍を持つ大国フランスが勝つものと思われていましたが、結果的にはプロシアが圧勝します。プロシアの周到な事前準備、国民皆兵制、参謀本部の発明などが勝因とされますが、フランス人は、フランスを超えるまでになったドイツの人口に負けたと信じます。しかし、にわかに出生率は改善できず、2度に渡る世界大戦に突入します。フランスは戦勝国となったものの、大きな犠牲を払います。戦後の復興期を迎えると、フランス、英国、ドイツは、旧植民地等に労働力を求めざるを得なくなります。出稼ぎ労働力として呼んだものの、これが大規模移民の始まりとなります。

以降、フランス、英国、ドイツの人口は移民流入によって拡大していきます。当然、排斥運動も起き、1970年前後には、景気後退、失業率増加を受けて、各国は移民を制限し始めます。しかし、流入を止めることはできませんでした。冷戦後は、東欧の混乱、民族紛争を背景に難民が流入します。そして2015年には、アフリカ、中東などの紛争によって、膨大な難民が押し寄せる欧州難民危機が起こります。結果、欧州各国は人道的観点から難民を受け入れますが、国内では反対運動が起き、右派勢力の台頭、英国のEU離脱につながっています。経済面に限って言えば、人口増加は経済規模の拡大、納税者の増加は社会保障の安定につながります。フランスでも、移民は労働力の根底を成していると言えます。しかし、経済成長には限界があります。

為替変動は、各国の貨幣価値が均衡するまで続きます。移民・難民問題の真の解決策は、その受入れや拒否ではなく、発生原因の解消にあります。2024年の各国の人口に占める移民の割合は、カナダが22.2%、ドイツ19.8%、英国17.1%、米国15.2%となっています。フランスでは、法的に調査が禁じられていますが、13.8%と推計されています。なお、フランスはシングル・マザーに関する法的整備が進んだことで、先進国で唯一、出生率が増加に転じています。家父長制どころか、結婚制度の見直しまで進んだわけです。フランス革命は、まだ続いていると思える話でもあります。自由・平等・博愛を精神基盤とする国が移民問題にどう向き合うのか注目されますが、国民議会の議員数において、移民排斥を掲げる右派勢力が与党と肩を並べるまでになっています。日本も、対岸の火事とばかりは言ってられないと思います。(フランスの英雄ジダンはアルジェリア移民2世 写真出典:jiji.com)

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