2026年1月3日土曜日

門松

正月が近づくと、門松の絵を印刷した紙が、決まって家に配られます。”門松用紙”と呼ばれ、松飾りの代わりに玄関に貼り付けるものです。松の伐採を減らし、収集ゴミを減らすことが目的とされています。毎年、市役所が作り、町内会を通じて配られています。我が家は、しめ飾りをするので貼ったことはありませんが、近所では使っている家も少なからずあります。門松用紙は、昭和27年、高知市で生まれたと聞きます。共和印刷という会社の社長が、新生活運動の一環として”紙の門松”を考案し、近所に配ったのが始まりだったようです。新生活運動とは、戦後復興期に政府主導で始まった生活の合理化を目指す運動で、冠婚葬祭の簡素化等に取り組みました。ほどなく門松用紙は高知市の事業となり、その後、各地に広まっていったようです。

しめ飾りは、注連縄(しめなわ)の一種です。注連縄は、神域と現世、あるいは神聖なものとその他を分かつ結界を意味します。しめ飾りの場合には、厄禍を祓う結界、あるいは年神様が来訪する際の依り代という意味もあります。お正月に欠かせない鏡餅、おせち料理、雑煮などは、すべて年神様への供物です。また、年末の大掃除も、年神様を迎える準備という意味があります。年神は、農作を守る田の神と家を守る先祖の霊が一つになったものとされています。古事記によれば、注連縄は、天岩戸に隠れた天照大神を引き出した際、二度と岩戸に隠れないように縄を張ったことに始まるとされているようです。注連縄には、概ね、紙垂(しで)が下げられています。やはり天岩戸伝説が起源とされる紙垂は、邪悪を払う稲妻を意味しています。

大昔、稲は雷の光にあたることで発芽すると信じられ、稲妻の語源にもなりました。科学的には、雷の放電現象で空気中の窒素と酸素が結合し、窒素酸化物が生成されます。いわば天然の窒素肥料ですが、それが雨となって降り注ぐことで稲の発育に役立つことになります。理屈は分からぬでも、稲と雷との密接な関係は当たっていたわけです。注連縄の稲わら、紙垂の稲妻と、いずれも稲作文化を象徴しています。注連縄という漢字は中国の風習から借用しているようですが、注連縄と紙垂自体は純粋に日本で生まれた独自の文化です。日本の文化は、稲作、文字、宗教、政治体制等々、その多くが中国の影響下に形成されてきたわけですが、注連縄と紙垂は、いわゆる”からごころ(漢意)”以前の日本、つまり日本本来の姿を示す手がかりとも言えそうです。

一方、門松などの松飾りの起源は、平安時代の宮中行事「小松引き」だとされます。小松引きは、新春初めての子(ね)の日に、野山で根の長い小松を引き抜き、根の長さや太さでその年の吉凶を占い、長寿や無病息災を願うという行事です。もともと常緑の松は生命力の象徴とされていたことから、小松引きで引いた松を飾る風習が生まれ、後の松飾りにつながったとされます。門松に竹が加わったのは鎌倉期とされますが、経緯ははっきりしません。もちろん、竹も、生命力や成長力を象徴してめでたいのですが、平安期ではなく鎌倉期になってから加えられたところが面白いと思います。当時、宋から禅とともに伝わった文人画によく描かれる「歳寒三友(冬に耐える3つの友)」、つまり松竹梅に影響されたものと考えます。ただ、梅の花には少し早かったわけです。

門松の松と竹という組合せを見ると、「松無古今色 竹有上下節(松に古今の色無く、竹に上下の節あり)」という禅語を思い出します。松に関しては、時に左右されることなく常に緑であることから真実や平等がイメージされます。竹は、節があることで、強く、まっすぐ、高く伸びます。竹の節は仏法の例えであり、仏の教えに従うことで得られる心の強さと平穏を象徴しているように思います。一般的には、社会の調和を保つために礼儀や節度をわきまえることを表しているとされます。この「竹有上下節」という言葉は、茶室の掛け物にもよく使われるようです。作法の実践を通じて「和敬清寂」を目指すとされる茶道には、最も適した言葉のように思えます。そう考えると、門松も、なかなかに趣深いものがあります。(写真出典:rakuten.co.jp)

鉢木