2026年の干支は、「丙午(ひのえうま)」です。十干の3番目にあたる「丙」は、大地から芽が出て葉が広がった状態を指します。陰陽五行では火性の陽にあたるため、明るく活発、生命力あふれる年と言えるのでしょう。十二支の「午」は、草木の成長が極まって衰えの兆しも見え始める状態を指します。また、「午」は正午という言葉があるとおり、太陽が最も高いところにあることをも表します。陰陽五行では、やはり火性の陽となります。従って「丙午」は、大いに勢いのある年ということになります。大変に結構なことではありますが、一方で、有り余るほどのエネルギーが禍する面もあります。
古来、中国では、丙午は火災の多い年とされていたようです。日本では、丙午生まれの男は妻を食い殺し、女は夫を食い殺すという俗説がありました。その俗説が広まり、迷信にまでなったのは、八百屋お七の事件が原因とされています。お七は、本郷の八百屋の娘でした。1683年に起きた天和の大火で焼け出されたお七の家族は、本郷森川町の正仙院(別説あり)に身を寄せます。お七は、そこで寺の小姓と恋仲になります。しばらくして、お七の家が再建されると、お七と家族は寺を出ることになります。しかし、お七の恋心は募るばかり。もう一度家が燃えれば寺に戻れると思い詰めたお七は、ついに家に火を付けてしまいます。結果的にはボヤ程度だったものの、火付けの罪に問われたお七は、鈴ヶ森の刑場で火炙りの刑に処されています。
お七は、井原西鶴が「好色五人女」の題材としたことで有名になり、読本、浮世絵、浄瑠璃、歌舞伎のテーマとして広く扱われていきます。その際、事実か否かは別として、お七は丙午の生まれとされます。以降、丙午の生まれは禍のもという迷信が広まっていきます。統計が残る明治以降では、1906年の丙午に出生率は4%減少し、その年に生まれた女性が適齢期を迎えると、なかなか結婚できず、自殺者も相次いだようです。1966年の丙午には、出生率は24%も減少しています。明治期の丙午に関する騒ぎを記憶している家族が多く存命していたこともあるでしょうが、マスコミが騒ぎ立てたことも大きく影響していたものと思われます。さすがに迷信に左右される時代ではありませんが、丙午生まれは気が強いという迷信を気にする人はいるのかもしれません。
過去の丙午の年を振り返ると、それぞれが歴史の転換点だったということができそうです。1846年は、アヘン戦争が終結した年です。アジアの大国である清が西洋に敗れたことは、アジア各国に大きなショックを与えました。西洋によるアジア支配が形を成した年であり、、かつアジアも西洋の先進的な科学技術に注目し始めた年だったとも言えます。日本にも外国船の来港が増え、幕末の混乱が始まった年でもあります。また、1906年は、日露戦争終結の翌年でした。日本は満州における権益を得ます。軍部が勢いを増す一方で、国力をすり減らしたうえでの辛勝であったことは伏せられ、マスコミに煽られた国民は賠償金を獲得できなかった政府を弱腰と批判することになります。無謀な日中戦争、太平洋戦争へと向かう構図が形成された年だったと言えます。
1966年は、前年に起きた証券不況を受けて金融緩和、財政出動が行われ、いわゆる”いさなぎ景気”が始まった年です。いさなぎ景気は1970年まで続き、日本のGDPは世界第二位にまで登り詰めます。経済が活況を呈するだけでなく、国民生活も文化も高度成長の恩恵を実感できるようになります。一方では、高度成長のひずみも顕在化してきました。また、中国では、この年、文化大革命が発動されています。確かに、丙午は、成長が極まると同時に衰退が始まる年のようでもあります。ただし、衰退の始まりは、大きな看板を掲げてやってくるのではなく、路地裏から、秘やかに、かつ確実に起こってくるように思います。恐らく、2026年は躍動感あふれる年になるのでしょう。しかし、我々は、その影にうごめくものにも留意すべきだと言えそうです。