2025年11月26日水曜日

江戸の敵を長崎で討つ

からつバーガー
今年も大相撲九州場所を観戦し、夜は、昨年同様、長浜へ移動し、平戸の生月島直送という新鮮な魚料理を頂きました。今年は、無理を言って、庶民的すぎてメニューにないゴマサバも出してもらいました。東京で生のサバを食べることはできません。福岡の人に、もっとゴマサバを自慢すべきだと言うと、サバは長崎から来ているからね、と微妙な顔をされます。翌朝は、唐津の虹の松原で”からつバーガー”を食べました。創業56年というバーガー屋の本店は駐車場に停めたバスでした。カリカリのバンズがクセになりそうな庶民派バーガーです。ホットドック屋だった店主が、佐世保でハンバーガーを食べて感動し、からつバーガーを始めたとのこと。佐世保では、1950年頃から、ハンバーガーが広まっていたようです。どうも風は長崎から吹いているな、と思った次第です。

その日は、長崎県北部の平戸まで行きました。あごやヒラメといった海産物、そして南蛮貿易で知られる町です。南蛮貿易の拠点は、後に長崎の出島に移りますが、もともとはここで始まっています。平戸名物の一つが、往時から伝わる南蛮菓子です。なかでもカスドースは有名です。カステラに卵黄を塗って揚げ、ザラメをまぶしたものです。個人的には、モサモサしたカステラよりも好きです。カステラほどの知名度がない理由は、平戸藩主がレシピを門外不出としたためです。今回は、創業500余年という老舗和菓子店の風情のある座敷で、美味しく頂きました。翌日は、平戸観光のあと、福岡空港への高速道路のアクセスを考え、佐世保、武雄を経由して帰りました。遅めの昼食は、佐世保のソウルフードだというレモン・ステーキを食べました。

佐世保と言えば、前述のハンバーガー、そしてトルコライスが有名です。トルコライスは、ナポリタン、カレー風味のピラフ、デミグラソースをかけたトンカツが、一皿に乗っているというジャンクな食べ物です。ちなみに、トルコとは、トリコロール(三色)が訛ったものだそうです。さて、地元で人気というレモン・ステーキは、今回、初めて食べました。1955年、夏場でも売れるステーキを目指して考案されたといいます。熱いステーキ皿の上に、薄切りのビーフが何枚か乗り、その上からレモン、醤油、にんにく等を混ぜたソースがジャバジャバとかかっています。肉を食べた後は、ご飯を鉄板に投入し、ソースとかき混ぜて食べます。ジャンクな代物ですが、さっぱりとしながらコクもあるレモン・ソースは、結構、中毒性が高いと思いました。

今回、長崎市内には入りませんでした。長崎名物といえば、なんと言っても南蛮由来のカステラが一番に挙げられます。ちゃんぽん、皿うどん、角煮まん、ハトシなども有名です。これらは中華料理由来です。そして、卓袱料理に至っては、和洋中混合です。いずれも国際貿易港としての長崎の歴史が反映されています。平戸名物も同様です。ちなみに、砂糖が一般化したのも南蛮貿易がゆえでした。佐世保のソウルフードは、米軍基地の町という性格から生まれています。対馬暖流と入り組んだ地形が生み出す最良の漁場、天然の良港ゆえに発展した国際貿易、この二つが長崎県の豊かな食文化を形成してきたと言えます。文化が交差するポイントでは、常に新しい文化が生まれるものです。九州の中心は、言うまでもなく福岡です。しかし、こと食文化に関しては、明らかに長崎が発信源だと言えます。

「江戸の敵を長崎で討つ」ということわざは、意外な場所やタイミング、あるいは筋違いなことで仕返しをすること意味します。語源に関しては諸説あるようです。有力な説が言うところは、大阪の見世物師が江戸で大人気となり、江戸の見世物師たちは隅に追いやられます。ところが、長崎から南蛮由来のビードロやギヤマン細工を携えた見世物師が江戸に入り、大人気を博します。結果、我が物顔だった大阪の見世物師たちは、江戸から姿を消したというのです。”長崎で討つ”とは、長崎へ行って敵討ちをするのではなく、長崎の見世物師を使って仇を討つという意味だったわけです。いずれにしても、国際交流から生まれた長崎の文化は、昔から江戸で敵を討つほどの破壊力を持っていたということになります。(写真出典:karatsuburger.jp)

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