アルバム名:The Best of Bobby Montez アーティスト:Bobby Montez
ボビー・モンテスは、1950年代後半から、LAで活躍したヴィブラフォン奏者です。西海岸におけるラテン・ジャズのパイオニアの一人とされます。モンテスは、1934年、アリゾナのソノラで音楽一家に生まれます。多くの楽器の演奏を学んだようですが、成人すると、LAで会計士になります。仕事の傍ら、演奏活動も行っていましたが、1958年、デビュー・アルバム「ジャングル・ファンタスティック」を録音します。ヴィブラフォン、ピアノ、ベース、ティンパレス、コンガで編成されるラテン・ジャズ・クインテットでした。これが、その後も変わらぬモンテスのバンド編成となります。何枚かのアルバムをリリースし、LAのクラブでの演奏は1960年代後半まで続けていました。その後、なぜか演奏活動を止めて、造園デザイナーになり、成功を収めています。ヴィブラフォンは、アメリカのティーガン社が、1921年に開発した比較的新しい楽器です。アルミ製の音板を持つ鉄琴楽器ですが、マリンバと同様、音板の下に共鳴管があります。ヴィブラフォンでは、共鳴管上部にはねがあり、それをモーターで回すことによって共鳴管を開閉し、絶妙なヴィブラートを生み出します。電気は使いますが、音自体は電気的に出されていないので電気楽器ではありません。ヴィブラフォンを世に知らしめたのはライオネル・ハンプトンだとされます。1930年頃から演奏を始め、1936年には、スウィング・ジャズの王様と呼ばれたベニー・グッドマンのバンドに参加しています。ちなみに、1947年、ハンプトンがオールスターズを率いてリリースした「スターダスト」は、不朽の名作として知られます。
1950年代、LAのジャズ・シーンは、ウェスト・コースト・ジャズ全盛でした。NYとは異なり、白人ジャズマンが多く、知的でクールなジャズが演奏されていました。そのなかに、スウェーデン系アメリカ人のヴィブラフォン奏者カル・ジェイダーもいました。デイブ・ブルーベックやジョージ・シアリングのバンドで活躍した後、ラテンに目覚め、1954年、カル・ジェイダー・モダン・マンボ・クインテットを結成します。折からのマンボ・ブームに乗り、バンドは成功を収めます。ボビー・モンテスは、奏法、曲調、バンド編成など、明らかにカル・ジェイダ-の影響を受けています。彼の1stアルバム「ジャングル・ファンタスティック」などはアフリカン・テイストも取り入れていますが、それも含めてカル・ジェイダ-風と言っていいと思います。
ところが、それ以降、ボビー・モンテスのスタイルは大いに変わっていきます。カル・ジェイダ-のジャズは、ラテンといっても、あくまでもクールで知的なウェスト・コースト・スタイルの枠内にありました。当時のインテリにとって、ラテンやアフリカはおしゃれなファッションだったとも言えます。対して、ボビー・モンテスは、よりストレートに、より分かりやすくラテンのエネルギーを表現していきます。アップテンポでノリが良く、明るい曲調は、恐らく当時のクラブで若者たちに大人気だったはずです。しかし、同時に、それは音楽としての幅を狭めるラウンジ化という道でもあります。ボビー・モンテスが音楽を離れ、全く異なる造園デジナーの道へと進んだ理由は、恐らく、ここにあるのだろうと思います。
本アルバムは、ベスト・アルバムで20曲も収録されています。なかでも”My”、”The Parisians”、”Brazilian”などは大好きな曲です。ポップな曲調は、まさにラウンジ・ミュージックといった感じであり、時代を感じさせます。正直なところ、ラテンといっても、キューバやブラジルのミュージシャンが演奏するような曲ではありません。そういう意味で、ボビー・モンテスは、1960年前後、LAに咲いた徒花だったとも言えそうです。ちなみに、昨今、DJたちの間で、ボビー・モンテスのヴァイナルがよくサンプリングされていたようです。確かに、時代を感じさせるラウンジ・ミュージックは、彼らの好むところだと思います。(写真出典:diskunion.net)
