2025年10月6日月曜日

「エレクトリック・レディ・スタジオ」

エレクトリック・レディ・スタジオ:ジミ・ヘンドリックスのビジョン         監督:ジョン・マクダーモット   2024年アメリカ

☆☆☆+

NYのエレクトリック・レディ・スタジオは、ジミ・ヘンドリクスが多額の私財を投じて作った録音スタジオです。ジミヘンが死んでからも、こだわりの詰まったスタジオでは多くのミュージシャンが録音し、名門スタジオとして知られています。本作では、関係者のインタビューを中心に、名門スタジオ誕生の経緯が語られています。エレクトリック・レディ・スタジオがオープンする前までは、レーベルが所有するスタジオでの録音が主流であり、以降、プライベート・スタジオという流れが出来たとも聞きます。ロックに変革をもたらした天才ギタリストは、録音技術の面でも大きな功績を残したわけです。

この映画は、不思議なスタイルで上映されました。死の2ヶ月前に撮影された「アトランタ・ポップ・フェスティバル1970」との2本立でした。アトランタ・ポップの映像は、かつてアメリカのTV で放送され、その後、映画化されています。ただし、日本ではこれまで未公開でした。なぜ2本立にしたのかは不明ですが、恐らくアトランタ・ポップの単独上映が興行的に厳しそうだったからなのでしょう。今回は10曲ばかりのピックアップ・ヴァージョンですが、全曲を観てみたいと思います。また、スタジオのドキュメンタリーでは、ジミヘンの音作りが子細に語られて興味深いのですが、観ているとフル・ヴァージョンでのジミヘンの演奏が聞きたくなってしまいます。そういう意味では、結果、ベスト・カップリングだったのかもしれません。

天才ジミヘンは、その驚異的なフィンガリングで知られています。加えてエフェクターの多用(といっても、当時はワウ・ファズ・ユニヴァイブくらいですが)、ギター・マイクの多彩な活用(ハーフトーンなどフェンダー・ストラトキャスターの3つのマイクの活用)、アーミングの独創的な使い方、加えて大音量といった電子的加工をもってロック・ギターの世界に変革をもたらしました。それだけに、スタジオでの録音技術にも、相当のこだわりがあったわけです。もちろん、装置類の進化も背景にはあったのでしょうが、ジミヘンは録音技術にも変革をもたらしたと言えます。ちなみに、スタジオの名前に関する話はありませんでしたが、当然、最後のスタジオ録音盤となった傑作「エレクトリック・レディランド」(1968)から付けられたものと思います。

作中、録音技術者のエディ・クレイマーが、録音技師はミュージシャン出身でなければならない、という持論を語っています。頷ける話です。彼がアシスタントたちを、ミュージシャンのなかから採用する経緯も面白かったと思います。エディ・クレイマーは、「フリーダム」・「エンジェル」・「ドリー・ダガー」等の音の構成を解説してくれます。聞いていると、ジミヘンの音楽への興味がより一層深まります。また、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリアンスのドラマーであるミッチ・ミッチェル、ベースのノエル・レディングの演奏は、ジミヘンのギターに隠れがちです。もともとうまい人たちだとは思っていましたが、本作でその凄さがよく分かりました。これからは、二人の演奏にも注目しながらジミヘンを聞きたいと思いました。

音楽好きだという人に会うと、あなたの神様は誰ですか、と聞きます。皆、すぐに名前を挙げます。聞かれて悩む人は見たことがありません。多様な音楽を聴いている人であっても、その人が挙げた名前で、その人の音楽的指向が分かります。私は、マイルス・デイビスとジミ・ヘンドリクスと答えます。では、ジミヘンの曲のなかで、何が一番好きか、と聞かれることもあります。これは答えにくい質問です。衝撃的だったパープル・ヘイズにはじまり、フォクシー・レディ、ファイア、フリーダム等々挙げたらキリがありません。ボブ・デュランのカバー「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」は本家越えの傑作だと思います。しかし、最上の一曲と言われれば「ヴードゥー・チャイルド (スライト・リターン)」ということになります。アトランタ・ポップでも演奏されており、うっとりと聞き惚れてしまいました。(写真出典:eiga.com)