2025年10月24日金曜日

フェリー

ジョラ号
ローマや京都と並び“千年の都”と呼ばれるイスタンブールは、ボスポラス海峡を挟んで、アジア側とヨーロッパ側にまたがる大都市です。ボスポラス海峡には、3つの橋と鉄道用・車両用の海底トンネルがありますが、 市民が日常的に使うのはフェリーです。朝夕には、べらぼうな数の小型フェリーが行き交います。その活気あふれる光景は、イスタンブールが持つ独特な風情を象徴しているように思います。実は、1872年、世界で初めてカー・フェリーが就航したのが、このボスポラス海峡だったようです。ヨーロッパ側のカバタシュとアジア側のユスキュダル間を運航しました。ちなみに、ユスキュダルは、1950年代に世界的ヒットとなったトルコ民謡「ウスクダラ」の舞台です。日本でも、江利チエミがカバーしてヒットさせたようです。

世界初のカー・フェリーは、蒸気駆動の鉄製外輪船でした。前後に馬車用の乗船口とランプウェイを備えていました。列車や車を自走させて船に積み込む方式は、ロール・オン/ロール・オフ(RORO)と呼ばれます。対して、貨物をクレーンで積み込む方式は、リフト・オン/リフト・オフ(LOLO)と呼ばれます。世界初の近代的RORO船は、1850年、列車専用としてスコットランドで就航しています。貨物輸送の主役が鉄道からトラックに代わったこともあり、列車を積み込むフェリーは、世界的に見てもごくわずかしか運行していません。かつて、日本にも鉄道と直結した鉄道連絡船が就航していました。有名なのは青函連絡船、関門連絡船、宇高連絡船でしたが、すべてトンネルや橋に置き換わり、現在は残っていません。

一方、カー・フェリーは、島や半島のある地域では、今も重要な交通手段になっています。大量輸送が可能であることから、経済的でもあるわけです。主要航路ではカー・フェリーの大型化が進んできました。現在、世界最大とされるのは、ノルウェーの「カラー・ファンタジー」で、オスロとドイツのキールを結んでいます。旅客定員2,750人、積載車両750台、見た目は大型クルーズ船と変わりません。実際、内部には複数のレストラン、ナイトクラブ、パブ、カジノ、プール等があり、ほぼクルース船仕様と言ってもいいのでしょう。日本の大型フェリーも、近年のクルーズ・ブームを受けて、船内設備が豪華になる傾向があるようです。ペットを連れて旅行する人たちの需要をねらい、ドッグランまで備えている船もあり、人気だと聞きます。

しばしば、カー・フェリーの事故のニュースを目にしますが、カー・フェリーの事故発生率は、他よりも決して高いわけではありません。ただ、ひとたび事故が起これば、多数の犠牲者が出る傾向にあります。フェリーの事故には、構造上の問題も大きく関わっているようです。カー・フェリーは船底に近いところに広い車両甲板を持ち、ランプウェイのある乗船口も低いところにあります。つまり浸水のリスクが高いわけです。もろん、十分な対策が施されていますが、ひとたび浸水すれば、隔壁を持つ他の船舶よりも復元率は低くなります。つまり、浸水してから沈没するまでが早いということになります。また、構造上、車両甲板で火災が起きれば、瞬く間に火の手が船内に広がることになります。脱出できる確率も大いに下がるわけです。

国内のカー・フェリーの事故で最悪だったのは1954年の「洞爺丸事件」です。台風が小康状態に入ったと判断して函館港を出港した青函連絡船「洞爺丸」は、船尾車両搭載口から浸水して沈没します。死者は1,155人に及び、日本のおける最悪の海難事故となりました。世界最悪のカー・フェリー事故は、2002年にアフリカのガンビア沖で沈没した「ジョラ号事件」です。定員の倍以上の乗客を乗せ、積載量も限度をオーバーしていたセネガルのRORO船は、嵐に襲われ、バランスを失い沈没したと見られています。1,863人が亡くなっています。アジアやアフリカで起きる海難事故では、杜撰な運行管理が問題となるケースが多いように思います。近海の定期航路を頻繁に航行するカー・フェリーには”慣れ”という問題が発生しやすく、定員オーバーや積載オーバーも起こりやすいのだろうと思います。(写真出典:en.wikipedia.org)

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