2025年10月18日土曜日

「ワン・バトル・アフター・アナザー」

監督:ポール・トーマス・アンダーソン    2025年アメリカ

☆☆☆☆

本作は、トーマス・ピンチョンの「ヴァインランド」をポール・トーマス・アンダーソンが翻案した作品です。トーマス・ピンチョンは、現代アメリカを代表する作家として高く評価されています。公式の場に姿を現わさないばかりか、ほぼ写真もないという謎の作家でもあります。ポール・トーマス・アンダーソンは、2014年にピンチョンの「インヒアレント・ヴァイス」を映画化しています。ピンチョンが映画化を許可した初めての、そして唯一の作品です。個人的には、印象に残る好きな映画の一つでした。ただ、興行的には失敗しています。プロットが、やや難解で複雑だったからなのでしょう。ピンチョンを読んだことはないのですが、それがピンチョン作品の特徴なのだと想像します。本作にも、同じ傾向を感じます。

ピンチョンの原作は、カウンター・カルチャーの時代である1960年代に暴力革命を目指した連中が、80年代の保守的な社会と向き合う姿を通して、アメリカの現代史を描いているようです。本作は、時代感を抑えた形で制作され、現代にも通じる普遍性を持たせようとしているように思われます。トランプの登場で明確となったアメリカの右傾化を批判する意図もあるのでしょうが、それだけではありません。ドラマの構図は、極左の母と極右の父を持つ娘が、極左の養父のもとで育つというものであり、父と娘の関係こそがメイン・プロットなのでしょう。映画のなかの極左も極右も、実に漫画的に描かれています。監督が訴えたかったのは、政治思想を超えたアメリカ人本来の価値観や親子の絆なのでしょう。ポール・トーマス・アンダーソンらしいテーマだと思います。

ポール・トーマス・アンダーソンの映画は、交響曲を思わせるような見事な構成力を持っていると思います。本作では、それに加えて映画としてのパワーと迫力を感じました。本作は、ビスタ・ヴィジョンで撮影され、鮮明で凄みのある映像になっています。また、いつもどおり、巧みにシンコペーションを利かせた演出とテンポ、それらと見事にシンクロしたレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドによる音楽が印象的です。アクション・シーンは、他とは一線を画す斬新さを持っています。クセ強のキャストたちによる演技も魅力的なものになっています。3時間という長尺さを一切感じさない映画でした。パワフルでコミカルなエンターテイメントという意味では、ポール・トーマス・アンダーソンの新しい一面が見られたように思います。

キャストでは、ラッパーのテヤナ・テイラーの存在感が強烈です。いい人を見つけたものです。また、65歳になるショーン・ペンが実に彼らしい役柄を楽しんで演技しています。いつもながらベニチオ・デル・トロの存在感と安定感は抜群です。レオナルド・ディカプリオは好きな俳優ではありませんが、今回は見事なはまり役だったと思います。監督の前作「リコリス・ピザ」で、映画を決定づけるほどの印象を残した歌手のアラナ・ハイムも、ちょい役で顔を見せています。ちなみに、映画に登場する極左過激派集団”フレンチ75”の名前は、1975年におけるフランス革命の再現を意味しているのでしょうが、パリのハリーズ・バーで生まれたカクテル名でもあります。第一次世界大戦におけるフランスの勝利を期待して、75mm野砲にちなんで命名されています。

秀逸なモティーフにあふれる映画ですが、特に父娘が潜伏するメキシコ不法移民の街、そして娘を匿う武装修道院というアイデアにはやられたと思いました。不法移民の聖域であるバクタン・クロスは架空の街ですが、ピンチョスの作品を今日的にアップデートしていると思います。また、武装修道院は、ロケ地となったカリフォルニア州北部に実在するシスターズ・オブ・ヴァレーという修道院もどきの大麻生産・加工施設がモデルになっているようです。修道院ではないものの、ほぼ修道院と同じ生活を送りながら大麻製品を製造・販売し、成功を収めているようです。武装修道院という設定は、右派の温床である福音派プロテスタントを皮肉っているようにも見えます。しかし、単に教会を批判しているわけでないと思います。極左の娘を匿う修道院が、極右と戦い殲滅されるというアイロニカルなプロットには、アメリカ建国の精神であるピューリタニズムへの回帰が意図されているように思いました。(写真出典:eiga.com)