2025年7月8日火曜日

御詠歌

先祖の墓も位牌もある我が家の菩提寺で晋山式が行われ、参加してきました。晋山式は、住職交代の儀式です。寺院の名称には山号が付きます。例えば浅草寺の山号は金龍山となります。山号は、随や唐の時代の中国で、林立する寺院を区別するために始まった習慣とされます。日本では、鎌倉時代、禅宗から始まったようです。晋山とは、新しい住職が山に晋(すす)むことを意味します。秘仏であるご本尊のご開帳の儀式も含め、5時間30分に及ぶ長丁場の法会でした。全ての宗派が晋山式を行うわけではないようですが、曹洞宗では重要な法会として行われてきたようです。本山以外では見たこともないほど多数の僧侶が参加しており、総本山永平寺や本山総持寺からも高位の僧が臨席していました。

晋山式は、新命住職が、行列を従えて山門を入り、本堂に至るところから始まります。その間にも、伝統に則った儀式が行われ、法語が唱えられます。行列の先頭は青・黄・赤・白・紫の五色旗ですが、鈴や鉦を鳴らしながら御詠歌を詠ずる檀徒の一団がそれに続きます。御詠歌は、仏教の教えを、五・七・五・七・七の和歌として表し、節を付けて詠唱するものです。詠者は、密教法具の五鈷をかたどった持鈴と呼ばれる仏具を手に持ち、振って鳴らしながら御詠歌を詠じます。その澄んだ音色は、魔除け、厄除け、浄化を意味するとされます。また、詠者は、揃いの簡略な法衣を身につけています。詠者は女性が中心であり、日頃から寺に集まって、稽古を重ね、重要な法会などの際に、御詠歌を詠ずることになります。

御詠歌の起源は、古代インドの梵讃にあり、中国を経由して日本に伝わったとされます。梵讃とは、仏・菩薩の教えやその功徳,あるいは高僧の行績をサンスクリット語でほめたたえる讃歌です。中国では漢讃となり、日本へ伝わって和讃となります。和讃は、和歌の形式を使うようになりますが、10世紀末、花山天皇が西国三十三所巡礼の際に各札所で和歌を詠んだことが起源だとされます。12世紀になると、密教において、和歌陀羅尼観が生まれます。陀羅尼とは、サンスクリット語のまま唱える呪文のことです。例えば、搬入心経の”そわか”は、サンスクリット語の”スヴァーハー”です。国風文化の粋とも言える和歌と法語を合体させ、法力を持たせるという発想が面白いと思います。声に出した言葉がパワーを持つという共通認識があるのでしょう。

和歌は歌謡を起源としており、音読、朗詠とは密接不可分です。11世紀には、朗詠に適した漢詩や和歌を集めた和漢朗詠集も編纂されています。現代では、和歌の朗詠を聞く機会は限られますが、毎年、正月に皇居で行われる歌会始の中継やニュースで聞くことができます。朗詠という文化からして、巡礼歌としての和歌に節が付けられていくことは自然な流れだったのしょう。御詠歌は、各宗派のなかで独自に発展していきますが、大正期に入り”大和流”として宗派を超えた共通基盤が整備され、音楽的にも確立されたようです。現在、耳にする御詠歌の多くは、大和流の音楽的基盤をもとに、各宗派、流派ごとに整備されたもののようです。例えば、曹洞宗の梅花流詠讃歌、通称梅花流は、昭和27年に始まっています。

宗教と歌唱は、切っても切れない関係にあると思います。識字率が低かった時代、祈りの言葉を覚えるために歌が活用されたのでしょう。それは、教義の理解、布教、そして儀式の運営上も有用だったわけです。世界を見渡すと、宗教ごと、宗派ごとに多様な音楽が存在します。キリスト教には聖歌や賛美歌があります。マルティン・ルターが重視した賛美歌は、主にプロテスタントの音楽です。アメリカのゴスペルは、もともと福音という意味であり、プロテスタントの宗教音楽と黒人の音楽文化が融合したものです。イスラム教では、礼拝の時間を知らせるアザーンをはじめとして、クラーンが朗詠されます。ユダヤ教でも、ハッザーンと呼ばれる朗詠者によってトーラーが朗詠されます。仏教では、御詠歌の他にも、奈良時代に始まったとされる声明もよく知られています。(写真出典:shonai-nippo.co.jp)

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