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スキタイ装飾品 |
もともと地球上に存在する鉄は、隕石に含まれる隕鉄だけでした。初めて人工的に鉄を作ったのは、アナトリアのヒッタイトだとされます。ヒッタイトは製鉄技術を独占して栄えます。兵数で遙かに上回るエジプトとも互角に戦い、世界初とされる平和条約を締結しています。ところが紀元前13世紀末、ヒッタイトは忽然と姿を消します。エジプトの文献によれば、当時、地中海の東側一帯を席巻した海の民に滅ぼされたようです。ヒッタイトの滅亡にともない、国家機密だった製鉄技術は、オリエント、ヨーロッパ、アフリカへと拡散していきます。製鉄技術は、黒海の北に展開していたイラン系騎馬民族スキタイにも伝わります。スキタイは、鉄製工具を用いた高度な金属加工技術を獲得し、大いに隆盛していくことになります。
鉄製のハミで自在に馬を操り、手には鉄製の武器を持ったスキタイは東へと勢力を拡大していきます。スキタイが、南ではなく東へ向かったのは、森林を求めたからだったと想像できます。製鉄のために森林を伐採し尽くすと、次の森へと移動することを繰り返したのではないかと思います。スキタイは、アジアの中央にあるアルタイに至ります。そこから製鉄技術の伝播ルートは、東の匈奴、南東の中国へと分岐します。モンゴル高原に興った騎馬遊牧民であり、鉄製武器を使って勢力を拡大した匈奴は、紀元前3世紀頃、強大な帝国を築きます。いまだ青銅器の武器しかなかった中国へも攻め込み、秦の始皇帝は、対策として万里の長城を築くことになります。しかし、紀元前1世紀頃には、漢の圧迫を受けて分裂し、滅んでいきます。
中国における製鉄は、春秋・戦国時代に始まったとされますが、その加工に関しては鍛造ではなく、鋳造だったようです。中国には、既に高い青銅器鋳造技術があり、鉄器にもそれを活かしたのでしょう。鋳造には高温が必須だったので、鞴(ふいご)も発明されます。しかし、鋳造では強度に問題があり、もっぱら農具として活用されたようです。鉄製武器の製造は鍛造技術の発達を持たなければならず、北方の遊牧民よりも鉄製武器の普及が遅れたことが、万里の長城構築につながったとも言えます。いずれにしても、中国の製鉄技術は、楽浪郡から朝鮮半島を経て日本に伝わることになります。そして”たたら”という鋼を作る製法が生まれていきます。たたらとは鞴をさしますが、タタールが語源とする説もあります。時代が一致せず、眉唾だと思います。
記紀に言う神武東征は、アイアンロードの最終章なのではないかと思っています。天孫家が日向から大和を目指した理由は、スキタイと同様、製鉄のために必要な森林を求める旅だったのではないでしょうか。ならば、何故、大和に留まることになったのかという疑問も沸きます。天孫家は、倭国大乱を収めた頃には大和に到着しており、部族連合の頂点に君臨したことで、もはや自ら製鉄を行う必要がなくなったのではないでしょうか。とりわけ出雲でたたら製鉄を押さえ、砂鉄の採れる吉備あたりに製鉄設備を多く設置したことが大きかったのだと思います。大和到着以降の天孫家は、森林を求める旅を止め、東海、関東へ支配を広げるためには軍を派遣すれば事足りるようになったのだと思います。(写真出典:natgeo.nikkeibp.co.jp)