2025年4月23日水曜日

伊江島マラソン顛末

友人に誘われ、伊江島マラソンに参加しました。伊江島マラソンは、”楽しく走ろう”をモットーとする市民マラソン大会であり、私がエントリーしたのは5kmの部でした。制限時間は45分。たかだか5kmとは言え、日頃走っていない身としては、ほぼ絶望的です。ただ、週に2回ほど、ジムでトレッドミルに乗り、4kmを40分で早歩きしているので、速歩ならばゴールできるだろうと思った次第です。わざわざ伊江島まで出かけて、そんなことをするのもどうかとは思います。しかし、大会に参加した最大の理由は、友人の知り合いがやってくれるというBBQでした。沖縄で最も爽やかなうりずんの季節に夕暮れ時のビーチでBBQ。これほど魅力的な話はありません。

伊江島は、本部港からフェリーで30分、人口4,500人の農業と漁業の島です。大会参加者は2,500人、うち2,300人が島外からの参加でした。本部港の駐車場は車であふれ、近隣の港に臨時駐車場が用意されていました。フェリーも臨時便を出していましたが、それでも700人という定員限界までの混雑でした。島に着くと、港での大会受付を済ませ、友人たちが手配してくれた宿に入ります。着替えを済ませてスタート・ゴール地点となるミースィ公園へと向かいました。広い公園にはステージが設けられ、露店も多く並んでいました。レースの結果としては、44分15秒でギリギリ完走(完歩)できました。5km男子は150名のエントリー、完走は135名、私は128位。70歳以上の参加者15名中14位でした。皆が走るなかでの速歩としては健闘したほうだと思います。

コースには給水所が設けられ、島特産の黒糖も配られていました。驚いたのは沿道の応援です。島の人々が、ほぼ切れ間なく応援に出てくれていました。なかにはバンド演奏で応援する人たちまでいました。私も、可能な限り、手を振って応援に応えました。なにせ速歩なので、そんなことをする余裕があったわけです。私は、ジムと同じ環境でと思い、音楽を聴きながら歩いていました。レース終盤には、ジェームス・ブラウンの”Give It Up Or Turn It A Loose”が流れます。この曲を聴くと、いつも体が勝手に踊り出します。コースでも、踊るように歩いていると、沿道から、真っ黒な顔の酔っ払った老人が飛び出してきて、一緒に踊り始めました。彼には音楽が聞こえていないのですが、恐らく、あれはカチャーシーだったのでしょう。もっと一緒に踊りたかったのですが、さすがに先を急ぎました。

アップダウンにはやられましたが、基本的には、いつもジムでやっていることなので、レース後に、息が上がることも、脚が痛むこともありませんでした。記録証を受け取り、牛串やぜんざいを食べ、ハーフに挑戦した友人たちのゴールを待ちました。なんとか、皆、完走することができました。宿でシャワーを使った後、BBQの会場へと向かいました。ビーチに面した広いBBQハウスには、気持ちの良い海風が吹き込み、空には月も出ていました。海の向こうには、本島の灯りが見え、あろうことか恩納村あたりのホテルから毎週末の恒例という花火まで上がりました。BBQには伊江島牛や海産物が出され、ちょうど季節を迎えた島らっきょも山ほどありました。島らっきょ好きには夢のような光景でした。また、泡盛は、マイルドで美味しい古酒が振る舞われていました。

20名ほどの参加者でしたが、美味しい食事と泡盛に話も尽きることなく、夢のような夜が更けていきました。ただ、夜半過ぎからは雨風が激しくなりました。翌日のフェリーの運航も危ぶまれるほどでしたが、幸いなことに朝には風も弱まりした。伊江島名物の城山(伊江島タッチュー)に登る計画でしたが、悪天候のために断念し、島の名産である百合の花が咲き誇るリリーフィールド公園、島の水源となっている湧出(わじ)等を観光しました。そして、満員のフェリーで本部港へと戻りました。お祭りとしてのマラソン大会も楽しく、BBQでの食事・泡盛も美味しく、そして何よりも島の人たちとの楽しい会話は得がたい経験でした。まるで夢のような時間でした。明らかに、人生最良の日のひとつだったと言えます。島の人たちの、また来いよ、という言葉に、必ず来ます、と応えた次第です。(写真出典:tabirai.net)

マクア渓谷