2024年11月15日金曜日

梁盤秘抄#33 Remain In Light

アルバム名:Remain In Light(1980)                                                  アーティスト:トーキング・ヘッズ

トーキング・ヘッズは、NYを代表する最もNYらしいバンドだと思います。強いリズムやファンク・テイストにデヴィッド・バーンの神経質な歌声という構成は、都会的で、かつ時代を超えたユニークさがあります。トーキング・ヘッズは、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインの学生バンドとして、1974年に結成されています。卒業後は拠点をNYに移し、NYパンクのメッカであった伝説的ライブハウス「CBGB」に出演するようになります。1977年にはデビュー・アルバム「サイコ・キラー'77」をリリースし、売上はイマイチながら注目を集めます。トーキング・ヘッズが、独自のカラーを明確にし、名声を確実なものにしたきっかけは、1978年に希代の異才ブライアン・イーノをプロデューサーに迎えたことにあります。

ブライアン・イーノは、ウィンチェスター美術大学在学中から現代音楽や電子楽器に傾倒し、1970年、ブライアン・フェリーと出会うと、翌年にはロキシー・ミュージックを結成しデビューします。ロキシーは、瞬く間にグラム・ロックのスターになりますが、知的でアーティスティックなスタイルは、他のバンドとは大いに異っていました。シンセサイザーを担当したイーノは、奇抜で独創的な出立を含めてフェリーを超える人気を博したため、ロキシーをクビになります。ソロ活動を始めたイーノは、現代音楽に傾注し、アンビエント・ミュージックを生み出していくことになります。同時に、イーノは、デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、U2のプロデュースも手がけます。

イーノがプロデュースしたトーキング・ヘッズの2ndアルバム「モア・ソングス」(1978)からは”Take me to the river”がヒットし、3rdアルバム「フィア・オブ・ミュージック」(1979)の” I Zimbra”では、その後のトーキング・ヘッズの作風が形を成します。ちなみに、” I Zimbra”には、キング・クリムゾンのロバート・フリップが参加しています。そして、1980年、傑作「リメイン・イン・ライト」がリリースされます。アフロビートを生んだフェラ・クティの影響を受けたというポリリズムとリフが全編をグルーブさせています。なかでも”Once in a Lifetime”は、トーキング・ヘッズの代名詞とも言える名曲だと思います。メロディや演奏も素晴らしいのですが、デヴィッド・バーンが書いた歌詞も示唆に富んでおり面白いと思います。

「リメイン・イン・ライト」は、サポート・メンバーを加えた大編成で録音されています。キング・クリムゾンの奇才エイドリアン・ブリューも参加し、お得意の象の咆哮的ギターを聞かせています。ブライアン・イーノによるプロデュースは、このアルバムで終わります。以降、デヴィッド・バーンとジェリー・ハリスンはソロ活動、ティナ・ウェイマスとクリス・フランツ夫妻は、バンド内バンドとされるトム・トム・クラブでの活動をはじめます。トム・トム・クラブは、麻薬的名曲” Genius of Love”(1981)で全米No.1ヒットを飛ばしています。その後、トーキング・ヘッズは、4枚のアルバムを発売しますが、ツアーは1983年が最後でした。1991年、ヴィム・ヴェンダースの映画「夢の涯てまでも」のサントラ録音後、解散が発表されました。

数年前、トム・トム・クラブのライブに行きました。ベース奏者として評価の高いティナ・ウェイマスは、依然として若々しい演奏を聞かせていました。エイドリアン・ブリューのライブにも行きましたが、象の鳴き声に会場は大盛り上がりでした。また、2018年に、デヴィッド・バーンがブロードウェイで行ったショーをスパイク・リーが記録した「アメリカン・ユートピア」(2021)は、音楽的にも、ショーとしても、映画としても見事な出来でした。今年は、トーキング・ヘッズのライブ映像「ストップ・メイキング・センス」4Kデジタル・リマスター版がA24の配給で公開されました。オリジナルは、1983年、LAのパンテージズ劇場でのライブを、メンバーの自費で記録したものです。実にシンプルなライブ映像であり、ほぼ最後となったトーキング・ヘッズのライブがたっぷり楽しめます。(写真出典:amazon.co.jp)

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