30年ほど前のことですが、当時の副社長が本社部長会議の席上で「格好つけてカタカナを使うのは止めろ。社内のコミュニケーションを悪化させるだけだ」と演説していました。使うなと言いながら、自分もカタカナ語を使っているじゃないか、と吹き出しそうになりました。最近は聞かなくなりましたが、当時は”カタカナ語の氾濫”という言葉をよく耳にしました。”日本語の乱れ”の一環として騒がれていたように記憶します。言葉は生き物です。時代とともに変化して当たり前です。”さよなら”や”いらっしゃいませ”も、一般的に使われ始めた頃には、日本語の乱れと言われていたのかもしれません。
日本語の乱れが話題になっていた頃、文化庁が毎年行っている「日本語に関する世論調査」で、2度ほどカタカナ語が取り上げられています。2002年度版では、120ばかりのカタカナ語の認知度・理解度・使用度のアンケートが行われ、いずれの項目でも”ストレス”、”リサイクル”、”ボランティア”がトップ3になっています。逆にワースト3に顔を出しているのは、”コンソーシアム”、”インキュベーション”、”エンフォースメント”などです。この頃にカタカナ語が増えたとすれば、その背景には、インターネットとウィンドウズの登場、そしてバブル崩壊があったように思います。バブル崩壊は、日本の社会と企業の自信喪失を招きました。企業は日本式経営に替わるアメリカ式の新たな経営手法を模索し始めていました。
海外から新しい文化が入ってくれば、当然、新しい言葉も増えるわけです。日本の場合、輸入元が中国であれば漢語が増え、西洋であればカタカナ語が増えるというのは、ごく当たり前の構図です。ことさら”カタカナ語の氾濫”などと騒ぐ必要もないように思います。カタカナ語とは、言い換えれば、ほぼ外来語ということになります。日本は、舶来文化を巧みに取り入れながら独自の社会や文化を形成してきた国です。歴史的に見れば、稲作の伝来、仏教の伝来(含、遣唐使)、南蛮貿易、明治維新、敗戦、これらが外来文化流入の大きな節目だったと言えるのでしょう。インターネットとバブル崩壊は、それらに匹敵するほどの大事件だったということかもしれません。
新たな外来語のうち、物品の名称は別として、思想や抽象的な言葉については、当初、共通の認識や理解を得ることは難しいと言えます。一方、ビジネス界には、トレンドに疎いことは勉強不足であるという風潮があります。結果、知ったかぶりが横行し、新たな外来語は曖昧な理解のまま広がっていきます。この点に関し、明治の人々は翻訳という賢い対応をとっていました。社会、個人、哲学、芸術、あるいは鉄道、電話、野球等々、多くの翻訳語が編み出され、日本語として定着しています。表意文字である漢字の特徴を活かした翻訳語は、完璧ではないにしても、その意味するところをよく表わしていると思います。少なくとも原語のカタカナ表記よりも理解は広がります。日本の近代化は、翻訳語に依るところが大きかったと言ってもいいのではないでしょうか。
外来語のカタカナ化は、大正期から増え始めたようですが、恐らく、戦後、爆発的に増加したものと思われます。占領下であったことに加え、当用漢字(現在の常用漢字)による漢字の制限も影響したのではないでしょうか。カタカナの蔓延は、官庁やマスコミによるところが大きいとも言われますが、当用漢字の制定が背景にあるように思います。だとしても、翻訳語を作る努力や使う傾向が薄れたことは興味深いと思います。カタカナ語を使うことは、先端性を気取り、かつ曖昧さを利用している面もあるように思います。2000年頃、私は、経営会議でのプレゼンに、まだ珍しかったパワー・ポイントを使っていました。流行りのカタカナ語も多用していたはずです。一部に、あいつのプレゼンにだまされるな、という声があったようです。案件が決済されたとしても、だまされた感が残ったことは想像に難くありません。