2024年9月17日火曜日

縄文は分からない

一時期、縄文文化にハマりました。書籍を読みあさり、遺跡にも足を運びました。今でも興味は失っていませんが、熱狂のようなものは消えました。知れば知るほど、ある思いが強まったからです。それは、一言で言えば、現代人が縄文文化を理解することはできない、ということです。文字を持たず、組織化されていなかった縄文文化を、科学的に解明することは不可能だという意味ではありません。縄文文化と弥生以降の文化との世界観や価値観があまりにも異なるため、現代人が縄文文化を推測したり、理解することは不可能だということです。今般、ドキュメンタリー「縄文にハマる人々」(2018)をネットで観ました。そのメッセージは私の思いとよく似ているように思いました。

縄文文化は、1万1千年とも1万6千年とも言われるほど長く続いた文化です。世界の歴史上、最も長く続いた文化だとされます。私が子供の頃、縄文人は定住せずに狩猟採取の生活を送った原始人だと教わりました。その後、発掘が進むと、定住して村落を構成し、雑食ながらどんぐり等の栽培も行っていたことが分かってきました。世界で初めて土器を生み出し、生活に用いていたことも分かりました。土器で煮炊きをすることによって、雑食の幅が広がり、飢饉がなかったことが文化の長期化をもたらしたのでしょう。また、出土した人骨の状態や人を害する武器が見つかっていないことから、平和的であったことが文化の長期化につながったとも言われます。その背景には、所有概念が未熟だったことがあるのでしょう。

では、縄文文化と弥生以降の文化との決定的違いは何かと言えば、農耕ということになります。農耕によって食料は飛躍的に増え、人口も急拡大していきます。食料生産は多くの人手を必要とすることから共同作業が必要となり、効率を求めて組織化が始まります。また、食料の備蓄が可能になったことから分業化が進みます。つまり、直接生産にたずさわらなくても食える人が生まれ、社会が形成されていきます。さらに、農耕が土地と労力の確保を前提とすることから、生産手段の所有を巡る争いも発生し、武力に基づく村落や国が誕生していくことになります。こうした物理的側面は、よく知られていることですが、実は精神的な側面、あるいは価値観に関しても、大きな変化があったものと考えられます。

大雑把に言えば、自然の一部として、あるいは自然を恐れながら生きた縄文人に対して、弥生人は、農耕を通じて、自らの手で自然を作り出した人々です。もちろん、今でも自然の多くはコントロールできないものの、自然界には存在しない物を作り出すことで、自然に対抗できるようになったわけです。この自然との関係の変化こそが、我々の縄文文化に対する理解を阻んでいるのだと思います。創意工夫によって自然を制していくという弥生人以降のメンタリティを継承する現代人の価値観で、縄文文化の土器や土偶の意味するところを推測することはできません。例えば、火焔型土器の複雑で精緻な紋様は謎でしかありません。しかも、それを煮炊きに使っていたわけですから、効率を重視する我々の価値観では意味不明としか言いようがありません。

縄文にハマっていた頃、不思議でしょうがなかったのは、写実的な絵や土偶が存在しないことでした。彼らの造形能力の高さからすれば、できないわけがありません。考えられる答えは、作れなかったのではなく、あえて作ることを避けていたのではないか、ということです。映画のなかでも、そのことを指摘していた学者がいました。さらに言えば、自然界に存在しないものを人間が作り出すことは、秩序を乱すこととして恐れられていたのかもしれません。土器の装飾は、自然を作り出すのではなく、抽象的な紋様や造形によって自然界に存在するものかのようにカモフラージュすることが狙いだったように思えます。土偶も、あえてデフォルメすることによって、自然が作った人間を自ら作り出したのではないと強調したかったように思えます。恐れたのは神ではなく、恵みをもたらす自然界の秩序だったのでしょう。今、我々が直面する自然崩壊は、農耕が生み出した飽くなき人造物追求の結果だとも言えます。(写真:「縄文にハマる人々」ポスター 出典:natalie.mu)

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