2024年7月1日月曜日

インスト・ロック

荒く処理された画面にLAのヒスパニック地区が映し出され、遠くの空を飛ぶ旅客機が見えます。そこに往年の大ヒット曲「スリープ・ウォーク」が流れます。1959年、17歳で夭折したリッチー・ヴァレンスの伝記映画「ラ・バンバ」(1987)のオープニング・シーンです。チカーノ初のロック・スターは、飛行機事故で亡くなっています。リッチー・ヴァレンスの短い生涯を象徴する印象的な映像でした。とりわけ「スリープ・ウォーク」という選曲が見事だったと思います。「スリープ・ウォーク」を演奏するサント&ジョニーは、NY出身のイタリア系兄弟によるインストゥルメンタル・デュオです。この名曲に限らず、50年代後半から60年代前半までは、ロック・インストゥルメンタル・バンドが多くのヒットを飛ばした時期でした。

インスト・ロック最初のヒット曲とされるのは、R&Bのキーボード奏者ビル・ドゲットの「ホンキー・トンク」です。以降、多くのバンドが多くのヒットを飛ばします。耳に残る曲と言えば、「スリープ・ウォーク」以外にも、ジョニー・アンド・ザ・ハリケーンズの「レッド・リバー・ロック」、チャンプスの「テキーラ」、デュアン・エディの「レベル・ラウザー」、ファイヤー・ボールズの「ブルドッグ」、ザ・シャドウーズの「アパッチ」、ベンチャーズの「ウォーク・ドント・ラン」、ブッカーT&ザ・MG'sの「グリーン・オニオン」、ロニー・マックの「メンフィス」等々があります。サーフ・ミュージックのディック・デイルの「ミザルー」は、タランティーノ監督の「パルプフィクション」のテーマ曲としても有名です。

いずれの曲も、私にとっては同時代の音楽ではありません。何曲かは耳に残っていたかも知れませんが、いわゆるオールディーズとして聴いたものばかりです。ただ、ベンチャーズ、ブッカーT、あるいはMG'sのスティーブ・クロッパーとドナルド・ダック・ダン等のライブには行ったことがあります。MG'sの「タイム・イズ・タイト」は大好きな曲です。不思議だと思うのは、1960年代半ば、突然、インスト・ロックが勢いを失ったことです。その後もインストゥルメンタル・グループが消えたわけではありませんが、少なくとインスト・ロックのブームは去ったと言えます。インスト・ロックは、60年代半ばに訪れたブリティッシュ・インヴェイジョン(英国の侵略)に押されて消えたという説がもっぱらです。要は、ビートルズに殺されたわけです。

英国のロックは、50年代後半、R&Bやジャズに影響された若者たちの間から自然発生的に生まれます。同じ頃に発生したモッズやロッカーズといった風俗と同様、労働者階級の若者たちの間から生まれます。厳しい階級社会にあって、多少経済的な余裕の生まれた労働者階級の若者たちが旧体制に反旗を翻したというのが、その本質的性格でした。米国で生まれたロックンロールは、黒人音楽を白人の若者が演奏するというカウンター・カルチャー的要素を持っていたわけですが、階級差別の激しい英国では、その傾向がより先鋭的になって現れます。英国のロックが米国を侵略する契機となったのが、ビートルズでした。英国で起こっていたビートルマニア現象がTVで報道されたことがきっかけだったとされます。

英国音楽がブームになると、インスト・ロックはラジオから閉め出されていきます。ラジオを起点にブームを起こしたインスト・ロックは行き場を失ったわけです。確かにそれが事実なのでしょうが、勢いを増しつつあったカウンター・カルチャーに押し出されたというのが真実だと思います。50年代的なあっけらかんとした明るさを持つインスト・ロックは過去のものとなり、旧世代にNOを叩きつける英国のロックが支持されたわけです。つまり、インスト・ロックは時代の変化を捉えることができなかったということです。その理由の一つは、皮肉にも、歌詞を持っていなかったことなのではないでしょうか。つまり、インスト・ロックは、若者の思いを代弁できなかったわけです。例えば、ローリング・ストーンズの「Paint it Black」がインスト曲だったとしたら、全米No.1ヒットにはなっていなかったと思います。(写真出典:en.wikipadia.org)

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