2024年6月29日土曜日

黄金の午後

「黄金の午後、私たちはのんびりと船を進めます」とは、ルイス・キャロルが「不思議の国のアリス」の序文に掲げた詩の書き出しです。1862年7月4日、その”黄金の午後”、ルイス・キャロルと同僚の牧師は、キャロルの友人ヘンリー・リデルの3人の娘、ロリーナ・シャーロット(13歳)、アリス・プレザンス(10歳)、エディス・メアリー(8歳)を連れて、オックスフォードのアイシス川(テムズ川)を8kmばかりさかのぼります。キャロルは、船中で子供たちに物語を語ります。子供たちにせがまれたキャロルは、物語を「アリスの地下の冒険」と題して手書きし、アリスにプレゼントします。1865年、友人達の勧めもあって、これを「不思議の国のアリス」として出版することになります。

「不思議の国のアリス」は一度たりとも絶版になったことがなく、現在174カ国語に翻訳されているという児童文学の傑作の一つです。児童文学の宝庫とも言えるイギリスですが、そのなかでもアリスは、かなり独特な位置づけを持っています。子供向けであることは間違いないのですが、一方で、イギリス伝統のナンセンス文学の一つの頂点とも考えられています。それこそ、アリスが、いまだに多くの人を魅了し、学術的な研究もされ、多くの芸術・芸能に影響を与え続けている理由です。ヴィクトリア朝の英国文学を代表する作品とまで言われます。それほどまでの傑作が、キャロルのまったくの思いつきで即興的に語られたものなのか、あるいは事前にある程度構想されたものだったのか、という議論があるようです。

本人は、明確に答えていませんが、恐らく、即興的とも、そうではないとも言えるのでしょう。とても気分の良い”黄金の午後”だからこそ、流れるように生まれ出た物語という面を持ちながらも、ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン本人の性向や思想、日ごろの生活の中で浮かんだ考えなどが、直接反映されているのだろうとも思います。ドジソンは、代々英国国教会の牧師という家に生まれます。父は、オックスフォード大で数学の学位を取りながら牧師になっています。名門ラグビー校に進んだドジソンは、学校に馴染めなかったものの、成績は極めて優秀でオックスフォード大に入学します。文学の学位をとって卒業しますが、数学の才能が認められ、オックスフォード大で数学を教えることになります。

ドジソンは、人生の大半を、オックスフォード大最大のカレッジであるクライスト・チャーチに住んで教鞭を執っています。聖職者の資格を持ち、独身であることが居住条件だったようです。多才なドジソンは数学者の他に。作家、詩人、画家、写真家、論理学者、発明家でもありました。彼は、幼少期から吃音症だったようです。また、自閉症気味だったのではないかという説もあります。その人となりに関しては、今でも多くの議論があるようです。最もよく話題にされるのは、少女のヌード写真が多く残されていることから、小児性愛者だったのではないかという疑義です。ただ、当時は、少女の裸身を神に通じる無邪気さの象徴とする風潮も存在したようです。いずれにしても、具体的証跡はなく、また反証も多く存在します。

恐らく、ドジソンは、数学者にありがちなアスペルガー症候群だったのでしょう。社会性の乏しさが、彼の性分を分かりにくくし、誤解を生みやすくしているのだと思います。ただ、同時に、そのことが、社会を見る冷静な目につながり、ナンセンス文学を生み出したのでしょう。ナンセンスとは、意味のないこと、ばかげたことと訳されますが、ナンセンス文学は、意味のないことを巧みに用いて、既存体制や常識をユーモラスに批判するものです。その点においては、後のシュールリアリズムやポップ・アートの構造に通じるものもあります。才能あふれるドジソンに、もう少し社会的な野心があれば、歴史に残る改革者になっていたかもしれません。ただ、実際のドジソンは、半ば世間に背を向け、少女たちとの”黄金の午後”に安らぎを得ていたのでしょう。(写真:ルイス・キャロルが撮影したアリス・リデル 出典:ja.wikipedia.org)

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