秀吉の御伽衆のなかで良く知られている一人が、後に笑話集「醒睡笑」を著わし、落語の祖とも言われる茶人の安楽庵策伝です。一方、秀吉の御伽衆のなかには、落語家の祖と言われる人物もいます。とんちの利いた話で秀吉を楽しませたという曽呂利新左衛門です。本名は杉本新左衛門。もともとは堺の鞘師だったようです。腕の立つ職人であり、その鞘には刀がソロリと収まったので、曽呂利新左衛門と呼ばれるようになったといいます。とんちが利くと評判をとった新左衛門は、秀吉に召し抱えられます。新左衛門は、猿顔を嘆く秀吉に「猿の方が殿を慕って似せたのです」と言って笑わせたという話が残ります。これだけなら、落語家の祖というよりも幇間(たいこもち)の祖というべきだろうと思います。
曽呂利新左衛門の知恵者ぶりを伝える話も残っています。あるとき、褒美を賜ることになった新左衛門に、秀吉は何が欲しいか尋ねます。新左衛門は「この広間の畳に端の方から一畳目は米一粒、二畳目は二倍の二粒、三畳目はその倍の四粒、次は八粒というように二倍二倍と米を置いていき、広間の百畳分全部をいただけますか」と答えます。秀吉は、その程度のものかと快諾します。ところが、考えてみると、とてつもない米の量になることに気付いた秀吉は、新左衛門に別な褒美に変えるよう懇願します。いわゆる累乗の計算になりますが、EXELで計算すると”1.26765E+30”という答が出ます。これは、1.26765に10の30乗を掛けることを意味します。天文学的どころか、宇宙を超えるほどの数字になります。
まるで数学者を思わせる逸話です。私が好きな逸話は、やはり褒美に何がよいか問われた新左衛門が「毎日、殿の耳のにおいを嗅がせてもらいたい」と答えたというものです。これまた秀吉は快諾します。そして、実際、毎日、においを嗅ぐことになるのですが、その様子を見ていた人たちには、新左衛門が秀吉に何かささやいているようにしか見えません。悪口や告げ口をされては大変と思った大名や側近たちは、新左衛門に付け届けをするようになったというのです。虎の威を借る狐かな、といったところですが、人間の心理をついた、あるいは独裁者の宮廷のありようを冷静に観察したうえでの、実に狡猾な知恵と言えます。一流とされた御伽衆の資質の高さを伝える話だと思います。
単に主君に媚びるだけなら二流の御伽衆、時にはへつらうことなく真実を伝えてこそ一流であり、それが主君の寵愛を受けることにもつながるのでしょう。もちろん、しゃちこばって真実を伝えるのではなく、諧謔をもって伝えるからこそ御伽衆ということになります。それが落語家の本質にも受け継がれているように思えます。講談には「講釈師、見てきたような嘘をつき」という言葉があります。上から目線で、押しつけがましく語りきるのが講談師の芸です。対して、落語家は、あくまでも庶民の目線、感性から離れることはありません。人間や世間を見る冷静な目線をベースに、庶民に対しては愛情を持って、上部構造に対しては批判をこめて諧謔を繰り出します。批判的精神のない落語家など薄っぺらいものです。ところで、新左衛門の猿顔の話は、秀吉が猿顔であると言っているようなものです。これが落語の真髄につながるわけです。(写真出典:ja.wikipedia.org)