2024年6月25日火曜日

月面着陸

中学の頃、剣道部に所属していました。当時、剣道部は、日曜、夏休み、冬休みには朝稽古をしていたものです。中学3年生の夏休み、よく晴れた暑い日だったと記憶しますが、稽古の後、皆で宿直室に集まりました。他の運動部も加わり、広くもない部屋は満杯になります。学校にある唯一のTVが目当てでした。その日早朝、アポロ11号が人類初の月面着陸を成し遂げ、世界中が歓喜に沸いていました。NHKは、早朝から延々と中継映像を流し続けていました。そして、1969年7月21日午前11時56分(米国時間同日午前2時56分)、いよいよその時が来ました。人類が初めて月面に降り立つ瞬間です。ニール・アームストロング船長が月面に降り立つと、信じがたい程の大歓声があがりました。感動のあまり鳥肌が立ったことを覚えています。

アームストロング船長は冷静な声で「これは人間にとって小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩だ」と語ります。生涯忘れ得ぬ言葉の一つです。正に人類の進歩そのものでした。月面着陸もさることながら、その瞬間が世界に同時中継されたことも歴史的快挙だったと思います。その瞬間のNHKの視聴率は68%を記録しています。その後、しばらくの間、熱狂がさめることはありませんでした。私も、アポロ11号とNASA管制センターとの交信を収めたレコードを持っていました。月面着陸のブームは、1970年、大阪万博で展示された月の石でピークに達したように思います。半年に渡る会期中に6,422万人が来場した大阪万博は大成功でしたが、「人類の進歩と調和」というテーマに相応しい月の石の効果は大きかったと考えます。

しかし、アポロ11号の大騒ぎを思い起こすと不思議なことがあります。何故月に行くのか、という説明を聞いた記憶がありません。誰も話していなかったように思いますし、誰も疑問に思わなかったのではないかと思います。アポロ計画は、1961年、ジョン・F・ケネディ大統領が両院合同議会で打ち出しています。その際の演説では、月面着陸は宇宙探査史上で最も重要なプロジェクトになる、米国の持つ行動力や技術力のレベルを知ることになる、といったその意義や重要性が説かれていますが、直接的にその目的は語られていません。アポロ計画の背景には、冷戦があり、核兵器開発競争がありました。宇宙開発分野における米ソの競争は、核ミサイル技術の開発競争そのものだったことは衆知の事実でした。

核戦争が現実味を帯びるなか、人工衛星や有人宇宙飛行でソヴィエトに遅れを取ったアメリカが焦る気持ちはよく分かります。月面着陸を目指すことで、様々な技術を一気に向上させ、ソヴィエトを抜き去るという意図も理解できます。また、結果的に、コンピューターはじめ、アポロ計画が民間にもたらした技術革新が数多くあることも承知しています。しかし、ミサイル技術、あるいは宇宙防衛技術を向上させるためだけなら、膨大な予算、要員を投入してまで人を月に送る必要はないように思います。人類の夢の実現、あるいは地球や人類誕生の謎に迫るという科学的探究心も分かります。ただ、天文学的な規模の国家予算を投入することは理解を超えています。よく議会が承認したものだと思います。

予算が議会を通った背景には、核戦争の脅威だけでなく、1950年代アメリカ経済の躍進もあったのでしょう。自信、自惚れと言うことも出来そうです。ただ、アポロ計画を議会が承認し、国民が大歓迎した最大の理由は、フロンティア精神にあったのではないかと思っています。アメリカにおける国家と国民の繁栄は、ひたすら西へ西へと向かっていったことに依ります。いわゆるフロンティアであり、ある意味、アメリカという国の精神そのものだと言えます。しかし、それも太平洋に到達することで一段落し、太平洋、アジアへ向かったものの決して簡単ではありませんでした。とすれば、残るは空ということになります。好景気に沸くアメリカにとって、より大きな旗印が社会的に必要だったのでしょう。ケネディ大統領ではなく、アメリカ国民が月面着陸というフロンティアを選択したのかもしれません。(写真出典:afpbb.com)

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