カレーうどん発祥の店としては、早稲田の三朝庵、中目黒の朝松庵が知られています。明治末期のことですが、その開発経緯が興味深いと思います。カレーは、明治維新とともに、英国から伝えられた料理です。ご飯との相性が良かったこと、軍隊がメニューとして採用したことから急速に一般化したようです。退役した軍人たちが全国に広め、コロッケ、カツレツとともに、三大洋食と言われるまでになります。舶来レシピを日本風にアレンジして普及した料理は多く、カレーもその一つですが、カレーうどんは多少異なる経緯を持ちます。カレー人気に押されて、客足が減った蕎麦屋が、起死回生をかけて考案したのがカレー南蛮でした。ある意味、プライドを棄て、カレー・ブームに乗っかることにしたわけです。
当初、業界ではゲテモノ扱いされ、なかなか普及しなかったようです。江戸期から外食産業の頂点に立っていた蕎麦屋としては、プライドもあり、舶来物のカレーは仇そのものだったのでしょう。ところが、両店が評判を取ったことから大正期には一般化していきます。カレーのアレンジ料理は数多くありますが、カレー南蛮がその始まりとされています。カレー南蛮が成功した大きな要因は、めんつゆをベースに和風のカレー種を作ったことにあるのでしょう。カレー南蛮という品名も良かったと思います。鴨南蛮で馴染みがあったからです。南蛮とは長ネギのことです。中国から伝わった長ネギは、大阪の難波一帯で栽培され、後に全国に広がったようです。長ネギ発祥の地で名産地の難波が南蛮に変じたとされています。
明治末期、カレーうどんが生まれた頃、めんつゆベースのカレーにあうカレー粉の開発も始まっています。四谷の田中屋は、三朝庵と協力して「地球印軽便カレー粉」を開発します。田中屋のカレー粉は、現在も杉本商店が受け継ぎ、業務用として販売されています。伝統的なカレーうどんの世界に新風を吹き込んだのが、巣鴨の古奈屋だと思います。1980年代のことです。ミルクをたっぷり入れたクリーミーなカレーうどんは衝撃的でした。以降、進化系やご当地系のカレーうどんが、続々と名乗りを挙げていくことになります。2000年代に入り讃岐うどんが大ブームになると、刺激を受けたカレーうどんも一段と活気づき、専門店も登場します。ライバルのカレーを取り込んで成立したカレーうどんは、今やライバル同様立派な日本の味になっています。
いわゆる名古屋メシの一つに名古屋カレーうどんがあります。若鯱家発祥のカレーうどんは、ドロッとしたカレーそのものをうどんにかけたような風情です。チキン・スープで作ったカレーに鰹出汁を加えた、いわばダブル・スープであり、よりカレーに近いと言えます。コシの強い太麺がよく合います。尾張のカレーうどんに対抗するように登場したのが三河の豊橋カレーうどんです。丼の底にご飯を入れ、それを覆うようにととろがかけられています。食べ終わったカレーうどんにご飯を入れる人がたまにいます。豊橋カレーうどんは、デフォルトでそれを提供しているわけです。とろろは、ご飯が浮かないように使っているようです。いずれにしても、味にはほとんど影響がない新作と言えます。(写真出典:housefoods.jp)