ヴェルナー・ヘルツォーク・シリーズ第3弾は「フィツカラルド」です。1982年に公開された壮大なファンタジー映画であり、希代の奇作とも言えます。アマゾン奥地にオペラ・ハウスを作ることを夢見た男の話であり、船が密林の丘を越えるシーンは映画史に残る映像です。その年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞しています。ちなみに、パルム・ドールは、コスタ・ガヴラスの「ミッシング」、ユルマズ・ギュネイの「路」に奪われています。ここがこの映画の興味深い点でもあります。ヘルツォークが発想した映像は、とてつもない労力で実現されているのですが、ファンタジー映画としてのスタンスがブレ気味で、かつ文明論的深さにも欠けます。この点が、評価を分かれさせているのでしょう。
ヘルツォークは、本作の着想を、19世紀に実在したゴム成金カルロス・フィツカラルドから得たようです。カルロス・フィツカラルドは、ペルー奥地から天然ゴムを搬出するために、今もフィツカラルド地峡として知られるルートを開発し成功を収めます。ルートを開発する際、蒸気船を解体して、別な川まで丘を越して運びます。数百人のインディオを酷使し、2ヶ月かけて丘を越したと言います。その蒸気船は、映画で使われた船に比べ、1/10程度の大きさだったようです。船が丘を越える、なんとも想像力をかき立てられるイメージです。思い起こされるのは、オスマン帝国のメフメト2世が、コンスタンティノープル攻略に際し、入口を鎖で封鎖された金角湾に、丘を越えて大艦隊を運び入れたことです。いわゆる「オスマン艦隊の山越え」です。
間違いなく、ヘルツォークは、このイメージに取り憑かれたのだと思います。文明論といった小賢しい話も、この強烈なイメージの前では吹っ飛んでしまいます。ヘルツォークは、このイメージを映像化するにあたり、何がなんでも実際に人力で船を丘に登らせるという強い覚悟があったのでしょう。宗教がかった執念とも言えます。撮影は過酷を極めたようです。多くの負傷者をだし、病に倒れた俳優たちの交替も相次ぎます。船が丘を登るシーンは、ドキュメンタリーに近い印象すら受けます。まるでナショナル・ジオグラフィックが、古代の建築を古代の工法で再現しているフィルムのようです。とてつもない映画作りを行ったわけですが、ある意味、映画を越えてしまったところが、この映画の弱点なのかもしれません。
ヘルツォークは、壮大なシーンを中心に重厚な作品に仕立てることもできたはずですが、そうしていません。フェリーニ的なノスタルジックで多少コミカルなファンタジーに仕立てようとしたのではないでしょうか。クラウディア・カルディナーレの起用がそれを物語っています。ただ、残念ながら、それは二つの理由で失敗しています。一つは、主演に予定していたジャック・ニコルソンが降板、その後を受けたジェイソン・ロバーズも撮影開始後に病に倒れ、急遽、クラウス・キンスキーが起用されたことです。ロバーズとキンスキーでは、まったく異なるテイストの映画になってしまいます。今一つは、ヘルツォークのシリアスな作風がイタリア的な明るさとは相容れないことです。
とは言え、さすがにヘルツォークです。レベルの高い映画であることは間違いありません。いつもどおり、映像の力を存分に感じさせる映画になっています。船が丘を登るシーンに限らず、素晴らしい映像を展開しています。ことに緑濃いアマゾン支流を進む蒸気船の姿には、惚れ惚れとさせられます。そこに流れるエンリコ・カルーソーの歌声が見事なコントラストを描いています。蒸気船は、あたかも大自然に無謀な戦いを挑む文明の姿のようでもあります。(写真出典:amazon.co.jp)