実に完成度の高いライブは、私の生涯ベストの一つだと思いました。ブラジルのミュージシャンの演奏レベルは、とても高いものがあります。2億人を超える音楽好きの国民がひしめくブラジルでは、音楽業界の競争も激しく、まずは相当なテクニックを持っていないと場末のステージにも上がれないと言われます。マリーザ・モンチのステージは、テクニカルに完璧なだけでなく、彼女の抜群の表現力が遺憾なく発揮されていました。スタジオ録音とほぼ変わらないレベルの高さに感服しました。そう言えば、1989年にリリースされたマリーザ・モンチのデビュー・アルバムはライブ録音でした。にもかかわらずブラジル中を熱狂させ、いきなりトップ・シンガーに躍り出ています。
マリーザ・モンチは、ややかすれたユニークな声で、独特な世界観を展開します。イタリアで声楽も学んでいますが、そのベースとなっているのはサンバです。父の影響で、幼少の頃からリオの名門サンバ・チーム”ポルテーラ”に出入りし、体中にサンバのリズムとサウダーヂを染みこませているわけです。ステージでは、彼女のよく知られたオリジナル曲を中心に歌っていましたが、古いサンバも数曲歌ってくれました。とりわけ大好きな”Danca Da Solidado”、”De Mais Ninguém”を歌い始めた時には鳥肌が立ちました。これは、ラストかアンコールで”Esta Melodia”を歌う前ぶりではないかと期待しましたが、歌いませんでした。一緒に歌う気満々だったのですが、残念です。
約90分のワン・ステージのみというセッティングに彼女の気合いを感じました。圧巻のステージのラストでは、満員の客席の拍手が鳴り止むことはありませんでした。彼女が、ブラジルで圧倒的な人気を誇るのは、サンバをベースとしながらも、現代的にサウダーヂを表現しているからだと思います。サウダーヂ・モデルナとでも言えばいいのでしょうか。ブラジルの音楽は、その背景にすべてサウダーヂを持っていると言われます。7thコードの使い方など聞くと、それが良く分かります。サウダーヂは、ポルトガル語独特の表現であり、日本語への翻訳は難しいと言われます。郷愁、憧憬、思慕、切なさ等が入り交じっているとされます。言葉の由来に関しても諸説あるようです。
ポルトガル人には、ケルト人の血が入っているようです。司馬遼太郎は、ケルト人を百敗の民と言っています。もともと中欧にいたケルト人は、ゲルマン人等に追われて、ついに欧州の西の外れの海辺にたどり着いたわけですが、その敗走の歴史や終着点の厳しい風土もサウダーヂという言葉の誕生に関係しているのでしょう。ポルトガルのファド、ブラジルのサンバ、アイルランド音楽は似ても似つかぬ代物ですが、実は、すべてサウダーヂと呼んでいいような同じ根っこを共有しているように思えます。(写真出典:cantodampb.com)