裏参道とは、北海道神宮の表参道とされる北一条通りに対して、南一条の通りを指します。いずれも正式地名ではなく、あくまでも通称です。表参道は、北1条西25丁目にある第一鳥居から境内入り口の第二鳥居までを指します。対して、裏参道は、公園口鳥居や第三鳥居に至る南一条の通りの西20~27丁目あたりを指します。もともとは住宅街だったのですが、1972年、札幌オリンピックにあわせて地下鉄が開通すると、円山公園駅周辺の裏参道に若い人たちが店を開き始め、いつしか裏参道として知られていきます。当時は、古い商店や民家を安く借り、手作感のある喫茶店や雑貨店がオープンしていました。ちょうど60年代のカウンター・カルチャーの時代が終わり、サブ・カルチャーの時代が始まった頃のことです。
東京では、若者たちが、カウンター・カルチャーの拠点だった新宿から、パルコに代表されるサブ・カルチャーの街・渋谷へと流れていった時代です。札幌でも学生運動等はありましたが東京ほどではなく、サブ・カルチャー化もささやかにスタートしたといった印象でした。店もわずかに点在するといった程度でした。それでも、徐々に知名度が上がってくると、商業資本が注目するところとなり、ビルやマンションが立ち始めます。若い人たちがやっている風変わりな店、面白そうな店で構成されていた裏参道は、小洒落た街へと変わっていきます。裏参道のサブ・カルチャーは、商業資本に侵略されたとも言えます。裏参道のサブカル文化には、それに抵抗するほどのエネルギーも蓄積されていなかったのでしょう。
例えば、下北沢は、いまだに若者たちのサブカル・エネルギーが街を支配しています。裏参道と下北沢との大きな違いは、文化の発信拠点を持っていたかどうかではないかと思います。つまり、下北沢には、本多劇場はじめ、演劇やライブの拠点が大小様々集まっています。多様な指向を持つ若者たちが流れ込み、常に街のエネルギーが蓄積されていくわけです。裏参道は、そうした拠点を持つ前に、商業資本に乗っ取られたようなものです。当時、まだまだ未熟だった裏参道のサブカル・エネルギーを嘆くべきなのでしょうが、ひょっとすると札幌という街が持つ文化的ポテンシャルの低さを憂えるべきかもしれません。札幌が文化的ではないと言っているのではなく、その多様性に欠ける面が気になるのです。
札幌は人口200万人に迫る大都会ですが、首都圏人口3,000万人を抱える東京と比べるのは酷というものです。ただ、地方の大都市は、いずこも特色ある多様な街区を持っているものです。例えば、札幌よりも人口の少ない福岡や神戸には、複数の繁華街が存在します。札幌では、何十年にも渡り、中心部以外の特色ある元気な街区は誕生していません。歴史の薄さと言えるのかも知れませんが、そうばかりでもないと思います。結果的に、裏参道が小洒落た街になったことは、希有な例と言えます。ただ、それも決して色合いが濃いというほどでもありません。裏参道には、マンションが多く建ち並びますが、裏道には、まだ個人住宅も残っています。その一角には、かつての裏参道を思わせる小さな店も存在していました。彼らの今後の展開に期待したいものです。(写真出典:hokkaido.press)