監督:クリストファー・ノーラン 1999年イギリス
☆☆☆+
希代の才人クリストファー・ノーランの長編デビュー作です。「オッペンハイマー」の大ヒットを機に、公開25周年/HDレストア版として劇場公開されました。16ミリ・フィルム、モノクローム、70分、わずか6千ドルで製作された超低予算映画です。平日は他の仕事をしているスタッフ・キャストが、1年をかけて製作したようです。フィルム代を節約するために、入念なリハーサルを重ね、すべて1、2テイクで撮影されたと言います。処女作には映画監督が後に撮ることになる映画の全てが入っている、と言ったのはフランソワ・トリフォーだったと記憶します。その言葉を思い起こさせるような映画でした。まずは、クリストファー・ノーランの代名詞とも言える非線形プロットが、既に使われていることが目を引きます。時系列が入り乱れる非線形プロットは、次作「メメント」においては、まったくの逆時制で進行するという進化を見せ、ノーランを一躍有名にしました。非線形プロットは、観客に対する挑戦であり、映画に緊張感を生み出します。もちろん、彼の発明ではありませんが、巧みに使いこなして傑作を生み出しているという点において、ノーランは映画表現の革新者だと言えます。線形的な時制の取り扱いは、劇映画を構成する基本要素であり、映画文法上の原理原則です。ノーランの非線形プロットは、マイルス・デイビスのモードの発見に近いものがあります。さらに言えば、ノーランの興味は、単なる表現手法としての時制から、時間そのものへと移っていっているようにも思えます。
ただ、本作における非線形プロットは、十分にその効果をあげているようには思えません。緻密に構成された脚本ではありますが、やや単調なカメラ・ワークや演出ゆえに、その効果が十分には観客に届いていないように思えます。斬新な手法ですが、まだ十分にこなれていなかったとも言えますが、低予算ゆえの種々の制約が禍いしたという面もあるのでしょう。そこでの反省が活かされ、傑作メメントにつながったということになります。非線形プロットやテーマとしての時間など、ノーラン映画は難解な面があるものの、見事にエンターテイメントとして成立し、大ヒットしています。それはノーランの才能によるものですが、本作における挑戦があったからこそ、後の成功を生み出していったと言えるのでしょう。
本作におけるノーランの挑戦は、プロットや脚本に限りません。とにかく低コストで長編を撮るために、ありとあらゆる工夫が試されています。それが、後にノーラン映画に多数の技術系アカデミー賞をもたらすことになったものと思われます。ノーランは、テクニカルな面にも造詣が深く、そのこだわりがノーランの強みにもなっています。例えば、フィルム・カメラを使う、CGを極力排除する、セカンド・クルーを使わないといった点です。音楽と音響効果に何ができるのかも知り抜いています。シェパード・トーンの多用などもノーランらしさと言えます。大型予算で大作を撮る監督にも関わらず、ノーランは、ロー・テクを使った手作り映画にこだわり続けています。そのスタンスの原点は、間違いなく本作にあるのでしょう。
クリストファー・ノーランが大ヒットを連発できる理由は、非線形プロットやテクニカルな面もさることながら、映画とは何か、映画に何ができるか、などを十二分に心得ていることにあるのだと思います。予算がないなかで、知恵を絞り、すべて手作りで長編に取り組んだことが、後に報われたということなのでしょう。本作は、映画としての出来以上に、偉大な監督の原点という意味で歴史的価値が高いとも言えます。ちなみに、オッペンハイマーの成功を機に、ノーランは、53歳にしてナイトの称号を与えられています。これからは、サー・クリストファー・ノーランと呼ばれることになります。(写真出典:imdeb.com)