ヘルツォークは、インカやマヤを滅ぼしたスペインの征服者たちに、近世の本質である強欲を見ているのでしょう。アギーレは、強欲の象徴です。緑濃い密林のなかで狂っていくアギーレは、自然、あるいは神のしっぺ返しを受ける人間の強欲そのものです。アギーレは、自らを神の怒りだとします。神の怒りとは一体何なのでしょう。アギーレは、神の使徒なのでしょうか、神の怒りをかった者なのでしょうか。あるいは過酷な自然に立ち向かうことで、神と同じ次元、あるいは神を越えた存在だと言うのでしょうか。いずれにしても、強欲は傲慢を生み出していきます。一人生き残り、猿の群れに囲まれたアギーレは、実の娘と結婚しアメリカ大陸に王統を築くことを夢想しながら果てていきます。
本作の主演は、怪優クラウス・キンスキーとアマゾンの自然だと言えます。ヘルツォークのリアルに自然を捉えるカメラ、自然主義的な演出、少ない台詞は、湿度の高いギリシャ悲劇を見ているかのようです。オープニング・シーンは、啓示的とも言える強烈な印象を与えます。険しい崖の道を荷物を抱えた無数の兵士やインディオが、まるで蟻のように降りていきます。それは地獄へ続く道のようにも見え、ダンテの神曲を思い起こさせます。そして、か弱く愚かな人間を見る神の目線のようにも思えます。一瞬にして、哲学的、神学的な世界を提示するパワフルな映像だと思います。映画が生み出す幻想の力を見事に示した歴史的映像だと思いました。ヘルツォークという監督の深く厳しい精神性が端的に伝わります。
ロペ・デ・アギーレは実在の人ですが、映画のストーリーは史実とは異なるようです。狂人と呼ばれた実際のアギーレは、スペイン王室、総督に敵対し、逃走と抵抗を続けた人でした。ペドロ・デ・ウルスアのエル・ドラード探索遠征隊に実の娘を連れて参加し、ウルスア等を殺害して遠征隊を乗っ取ったことは事実だったようです。遠征は失敗に終わりますが、その後、アギーレは、ベネズエラのマルガリータ島を占拠し、さらにパナマ占領を目論みます。ただ、総督軍に包囲され、娘を殺害し、自らも射殺されています。スペインによる南米征服は、組織的に遂行された印象がありますが、現地の征服者たちは、熱狂と混乱と恐怖のなかにあったのだと思います。アギーレは、征服者たちのカオスの象徴だったのでしょう。
エル・ドラードの伝説は、スペインを中心に、16世紀の欧州に熱狂を巻き起こしています。多くの南米探検の動機はエル・ドラードだったとされます。アギーレ隊も含め、実在を疑わざるを得ない結果が続きますが、取り憑かれたような探検は18世紀まで行われたようです。19世紀初頭、ドイツのアレクサンダー・フォン・フンボルトが、アンデスとアマゾン流域を詳細に調査し、エル・ドラード伝説を完全に否定しています。南米は、近世の欧州が解き放った強欲の実験場だったと言えます。そこではありとあらゆる非道が行われます。近世欧州の強欲は、今も南米諸国に政治的・経済的不安定をもたらし続けています。(写真出典:amazon.co.jp)