2024年4月6日土曜日

「美と殺戮のすべて」

監督:ローラ・ポイトラス 原題:All the Beauty and the Bloodshed 2022年アメリカ 

☆☆☆+

写真家ナン・ゴールディンによる反オピオイド活動を通じて、彼女の人生と作品に迫ったドキュメンタリーです。ナン・ゴールディンは、ヒッピー、同性愛、ドラッグといったサブ・カルチャー、カウンター・カルチャーを生き、作品の素材としてきた写真家です。その自伝的とも言える作品の過激さは、称賛もされ、批判もされてきました。しかし、その過酷な現実を正面から捉えた作品は、一つの時代を切り取り、かつ人間愛に満ちているとも言えます。自身もオピオイド中毒になり、立ち直った経験を持つナン・ゴールディンは、オピオイド危機に対して、アーティストの立場から行動を起こします。美術館に多額の寄付を行ってきたサックラー家を美術界から締め出すというキャンペーンでした。

サックラー一族は、大手製薬会社パーデュー・ファーマを所有していました。パーデュー・ファーマは、1995年以降、オピオイド系薬品を安全で中毒性の低い鎮痛剤として、積極的に製造販売してきました。しかし、ケシの成分から作られるオピオイド系は、中毒性が高く、多用による致死率も高い危険な薬品でした。アメリカでは、1999~2020年の間に薬物の過剰摂取で死亡した84万人のうち、実に50万人がオピオイド中毒だったとされます。サックラー家は、史上最悪の麻薬売人とも呼ばれます。そのサックラー家は、汚名を糊塗するかのように世界の名だたる美術館に多額の寄付を行ってきました。ナン・ゴールディンは、直接行動をもって抗議し、サックラー家を美術界から排除することに成功します。

ナン・ゴールディンは、趣旨一貫、弱者の立場を訴えてきたアーティストと言えます。反オピオイド活動は、その延長線上にあります。彼女の飽くなき挑戦や戦いの軌跡をたどりながら、その情熱を生み出した根源に迫ることが、本作のねらいだと思います。ローラ・ポイトラス監督は、本作で極めてユニークなアプローチを採っています。通常のドキュメンタリー映画は、多くの関係者による証言によってテーマが追求されていきます。本作は、ほぼナン・ゴールディンのモノローグだけで構成されています。本作のテーマを深掘りするためには、それが最も適した手法だったように思います。また、近年、ビジネス界で注目されるナラティブ・アプローチを思わせるところもあります。

いわゆる”ストーリー”は、客観的に完結された物語ですが、ナラティブは、あくまでも語り手の主観に基づく偏向的とも言える物語です。ビジネスの場では、顧客や部下の主観的な話に耳を傾け、そのうえで対話を通じて問題を解決するという、いわば多様性重視の手法を指します。本作では、ナン・ゴールディンが自身の芸術活動の根源にあるものを物語っていきます。そこにあったのは精神病院に入れられ自殺した姉であり、その背景には両親による育児忌避的な姿勢がありました。独善的な存在があり、それによって弱者が虐げられている状況への憤りなのでしょう。それをクリアに伝える本作は、傑作ドキュメンタリーだと思います。2022年のヴェネチアでは並み居るドラマ系の強敵を押しのけ、金獅子賞を獲得しています。

劇薬オピオイドは、医学的にはモルヒネ等と同じく有効、かつ必要性の高い鎮痛薬なのでしょう。問題は、パーデュー・ファーマ社が、医療機関や医師に過度なマーケティングを行い、安全性を謳うTVCMを流し続け、一方の医療サイドも安易に処方箋を乱発するようになったことにあるのでしょう。中毒患者が増えると、処方箋の売買、商品の横流し、違法製造された類似品や密輸等が発生し、危機が拡大していったものと思われます。2017年に至り、米国政府は危機宣言を出して規制に乗り出しています。紆余曲折はあったものの、現在、サックラー家とパーデュー・ファーマ社は、巨額の和解金を支払い多くの州政府と和解しています。和解金は、オピオイド中毒患者への補償や更生に使われるようです。アメリカは、強欲という名の牛を放し飼いにしているようなものでもあります。一部の牛が暴走しても、それに気付くことは遅れ、かつそれを止める手立ても少ないと言えます。(写真出典:eiga.com)

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