2024年2月26日月曜日

「ボーはおそれている」

監督:アリ・アスター    制作:A24     2023年アメリカ

☆☆+

アリ・アスターの長編デビューはA24制作のホラー「へディタリー/継承」(2018)です。低予算映画ながら世界的な大ヒットを記録し、当時、A24の興業成績の歴代トップにもなりました。次作「ミッドサマー」(2019)は、北欧を舞台とするホラーでしたが、これも大ヒットしました。アリ・アスターの映画は、シナリオやシーンの構成にラフさを残すものの、面白いアイデアをグイグイと押し込んでくるパワーがすごいと思いました。ホラーの伝統に沿いながらも、それを超えるユニークなアイデアが光りました。力業は監督の若さの現れでもありますが、そのレベルが違いました。新しいホラー映画というよりは、新しい才能の登場だと思いました。本作も、まさにアリ・アスター・タッチの映画になっていると思います。

しかし、今回は、ホラーではなく、コメディ・タッチのファンタジーです。ホラーの直線的な構成ではなく、縦軸らしきものとしてエディプス・コンプレックスが存在するのみです。そうなると、アイデアをたたみかけるアリ・アスター・スタイルは、収斂することなく、ひたすら拡散するだけといった印象を与えます。また、アリ・アスターの脚本は、二段三段構えの展開を特徴としています。本作でも同様なのですが、それが散漫な印象をより強くしている面もあります。3時間という上映時間も含め、冗漫さを感じました。ただ、飽きずに観られたという事に関して言えば、まさに監督の力量、そしてホアキン・フェニックスの演技力ゆえなのでしょう。

アリ・アスターの前2作は、観客のために作られたエンターテイメントです。本作は、監督が作りたいと思っていた、いわば自分のための映画だと思います。近年で言えば、イニャリトゥの”バルド”、デイミアン・チャゼルの”バビロン”と同じです。アリ・アスターは、作家主義のアート作品を撮りたかったのかもしれません。それが映画監督の夢であることは理解できますが、若くして名声と富を得たアリ・アスターの奢りでもあり、10年、20年早いと思います。アリ・アスターの前2作は、10ミリオン程度の予算で、それぞれ80、40ミリオンを稼ぎました。いわば自分のための映画を撮れることは、ヒット・メーカーだけに許される特権です。なお、本作の予算は30ミリオンと大幅増額されましたが、大コケしています。

歌舞伎の世界に「けれん(外連)」という言葉があります。見た目本位の奇をてらった演出を指します。宙乗り、早変わり、放れ業などがあり、多くは道具や仕掛けを使います。芸道の本筋ではないという意味で”外連”と呼ばれるわけです。転じて”はったり”や”ごまかし”を意味する言葉としても使われます。一方、「けれん味のない」という言葉もあります。これは、”まっとうな”、”真面目な”という意味で使われます。しかし、歌舞伎や浄瑠璃のエンターテイメント性からすれば、外連も舞台の本質の一つなのだと思います。アリ・アスターの前2作は、けれん味たっぷりの映画ではありますが、外道ではありません。娯楽映画の正統であり、ど真ん中だと思います。

しかし、歌舞伎の世界にあっても、義理人情や愛情を語ることの多い世話物にけれん味たっぷりの演出はありません。一般論として、相性が良くないわけです。哲学的なテーマを持つ映画に、けれん味など持ち込むな、と言っているのではありません。ただ、そのような演出を行う際には、深掘りしたシナリオと熟練の演出力が求められるものと考えます。コメディ仕立てなら、なおさらだと思います。作家主義の熟達の監督たちは、そこを心得ているわけです。本作において、そのことを理解しているのはホアキン・フェニックスだけだったように思います。自らの個性をぶつけながら本作に取り組んだアリ・アスターの挑戦は称賛に値すると思います。ただ、残念ながら、監督の青さが目に付くイマイチな結果と言わざるを得ません。(写真出典:eiga.com)

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