2024年2月22日木曜日

餃子

私は、不味い餃子を食べたという記憶がありません。店による味の違いはあるものの、おおよそどこの餃子も美味しいと思うのです。餃子は好きな食べ物の一つであり、大量の餃子にビールは最強タッグだとも思っています。ただ、普段、中華料理店やラーメン屋で餃子を注文することは、ほぼありません。自分でも不思議だと思っています。焼売に関しては好きな店がはっきりしていますが、餃子を目当てに行く店もありません。強いて言うなら、歌舞伎町の「大陸」くらいでしょうか。大陸は、かつて歌舞伎町の奥にありました。50年前、初めて食べた大陸の餃子はとても美味いと思いました。今もその記憶を引きずっているのでしょう。

年に2~3度、宇都宮へ行く機会があります。行けば、仲間たちと大量の餃子にビールを楽しんでいます。宇都宮と浜松に近年は宮崎も加わり、餃子日本一を競っていますが、味の争いではなく、一人当たり消費量の争いです。いずれも、独特な味やレシピがあるわけではなく、店によって味は様々です。浜松餃子は、丸く並べた餃子の真ん中にもやしが添えられている点が特徴と言えば特徴ですが、味は関係ありません。東陽町で働いていた頃、たまにタンギョウの有名店「来々軒」に行っていました。その来々軒が、ある時、雑誌の餃子特集で東京ナンバー・ワンに選ばれたことがあります。もちろん、美味しいのですが、ごく普通に美味しいスタンダードな餃子であり、東京一と言われてもピンときませんでした。

食べログの餃子ランキングを見ても、上位店は同じような点数で大差ありません。美味しい餃子を評する言葉としては、概ね「パリパリ、ジューシー」が主流です。焼餃子の食感の話であり、味を語ってはいません。日本は焼餃子が主流ですが、中国はほぼ水餃子オンリーです。私の実家では水餃子がメインでした。満州経験のある父親が、餃子は水餃子が本物だというこだわりがあったからです。日本で餃子が一般化したのは戦後のことです。うちの父親も典型的ですが、中国在留経験者が持ち帰った料理なわけです。歌舞伎町の大陸も、引揚者が始めた店であり、引揚者たちが大陸を懐かしんで集まった店だと聞きます。いずれにしても、焼餃子と水餃子は、食感の違いこそあっても、味は同じく美味しいと思います。

私は「餃子はどれも美味しい」と思っているのですが、その理由を考えてみました。様々な食材を生地で密封した状態で加熱することによって、多様な旨味が凝縮される、これが餃子の美味しさの根源なのではないかと考えます。つまり、餃子1個は小さいながら、具材の多い鍋物と同じだということです。誤解を恐れずに言えば、餃子は小さなちゃんこ鍋です。ちゃんこも、様々な具材を様々な出汁で煮込みますが、どれも美味しくなります。その理由は、多くの具材が多様な旨味を出すからだとされます。餃子の具材も、店によって様々ですが、多くの食材が使われます。さらに餃子は、人間に幸福感を与える小麦粉で包まれるわけですから、それが焼餃子であろうが、水餃子であろうが、確実に人を幸せにするわけです。

餃子は中国発祥とされます。山東省の紀元前6世紀頃の遺跡から餃子の痕跡が発見されています。また、3,000年前のメソポタミアの遺跡からも小麦の皮で包んだ料理が発見されているようです。餃子に類したものは、ユーラシア大陸の各地に存在します。ロシアのペリメニ、ポーランドのピエロギ、イタリアのラビオリ、インドのサモサ、ネパールのモモなど、よく知られています。小麦を粉にし、水で溶き、加熱するという料理は、世界各地で同時発生的に生まれたのでしょう。餃子も、その延長線上にあります。餃子は、米を主食とする中国南部、東南アジア、日本などには存在しなかったわけです。そうした米食の国々の餃子類は、中国伝来だったと考えられます。単に食材を小麦粉に包んで加熱するだけでなく、様々な食材を混ぜて餡を作り、それを小麦で包んで加熱するという発想は、偉大な発明だったと思います。(写真出典:orangepage.net)

マクア渓谷