アメリカにいる頃、数人のアメリカ人に、なぜインディアン・サマーと呼ぶのかと聞いてみました。面白いことに、全員から、同じ答えが返ってきました。寒い気候に支配された晩秋に、暑い夏が逆襲しているかのような天気であり、それが白人に追いやられたインディアン(ネイティブ・アメリカン)の逆襲に例えられている、というわけです。この話の方が説得力があり、アメリカ人の一般的認識なのではないかと思います。多分に西部劇の影響があるようにも思いますが、現代の米国人、特に白人たちのネイティブ・アメリカンに対する罪の意識が高いことの現れのように思えました。言うまでもなく、アメリカ開拓の歴史は、ネイティブ・アメリカンをだまし、襲い、殺し、土地を奪っていく歴史でもありました。
ネイティブ・アメリカンと植民者との戦いは、16世紀に始まります。植民とは、一方には開拓でも、他方には侵略ですから、争いが起こって当然です。戦いが起こった背景には、契約という概念がネイティブ・アメリカンになかったこと、そして植民者側がネイティブ・アメリカンの社会構造を理解していなかったことにあるとされます。つまり、ネイティブ・アメリカン側には土地の売買という概念がなく、植民者が土地の代金として渡した金品は贈り物と理解されたと言います。また、ネイティブ・アメリカンの社会にヒエラルキーは存在せず、小規模な集団が合議に基づき行動するのみでした。白人が勝手に名付けた”酋長(チーフ)”の実態は、集団の調整人に過ぎません。”酋長”に✕と署名させた契約書など無意味だったわけです。
小競合いは別として、戦争規模の武力衝突は、16~20世紀初頭までに100弱存在します。独立後、急増した移民たちが西へ西へと開拓を進めると、武力衝突の数は増えていきます。19世紀には60弱の”インディアン戦争”が起きています。西部では、スー、コマンチ、シャイアン、あるいはアパッチといった騎馬に長けた勇猛な部族による”逆襲”が起こっています。ただ、"インディアン戦争”でネイティブ・アメリカンが勝利することは、ごくごく稀でした。白人たちの記憶に刻まれている敗戦は、1876年、第七騎兵隊が殲滅されたリトル・ビッグ・ホーンの戦いくらいだと思われます。功を焦ったカスターが突出したために、シャイアン等の部族連合に待ち伏せされた戦いです。後に、第七騎兵隊は、仕返しとしか思えないウンデット・ニーの虐殺を起こしています。
野球のメジャー・リーグで100年を超える歴史を有するクリーブランド・インディアンズが、2021年、球団名をガーディアンズに変えました。ポリティカル・コレクトネスに配慮した結果です。しかし、ネイティブ・アメリカン問題は、単なる人種差別の問題ではありません。強制移住と保留地軟禁、同化政策の失敗、援助依存化等々、連邦政府の政策は、ネイティブ・アメリカンを孤立させ、極貧状態に置いてきました。保留地の自治権は、カジノ運営などで収入を増やしましたが、一部に限られています。また、自治化は自己責任化という側面も持ちます。いずれにしても、問題の本質は、生活と文化を維持する手立てを奪われたことにあり、根本的解決は厳しいと思います。そして、ネイティブ・アメリカンは一つではなく、部族毎に分かれているため、一律の政策では対応できないことも大きな障害となっています。一時的な”インディアンの逆襲”はあっても、ネイティブ・アメリカンの勝利は望み薄と言わざるを得ません。(写真出典:metmuseum.org)