酒船石 |
飛鳥の巨石文化のなかで、最も興味深いものは、酒船石だと思います。全長5.5m、幅2.3m、厚さ1mの石の表面には、円形の窪みから3本の溝が放射状に走り、液体が流れるような構造になっています。さらに円形・楕円形の浅い窪み穿かれ、全体としては幾何学的な構図のように見えます。酒船石は、高台の上に置かれています。高台は、見事な石垣を回すなど人工的に造られたもののようです。酒船石という名称は、江戸時代に定着したとされています。酒を造る道具という見立てがされたのでしょう。しかし、そうは見えません。何らかの祭祀を行うための道具立て、薬を造るための仕掛け、あるいは宇宙人が何らかの記録として残したのではないかという説まであります。
30年前、酒船石のある高台の下の窪地から、亀形・小判型の石造物が発見されます。湧水樋から小判型の石の窪みに、そして亀をかたどった石の円形の窪みへと水が流れ落ち、それぞれの窪みに貯められるような仕組みも施されています。しかも周囲は、人目を避けるように掘り下げられ、斜面には観客席のような石段まであります。文献に記載がないことから、その目的や用途は不明ですが、類した工事の記述が、日本書記の斉明天皇期にあると言います。謎の石造物ではありますが、これは間違いなく占いのための道具立てだったと思います。文献がないこと、人目を避けるような高台や窪地にあることが、何よりの証拠です。占いは秘儀であり、むやみに人に見せるものでも、その手順を記録するものでもありません。
とすれば、亀形・小判型石造物に付属する観客席のようなものは何か、ということになります。日本書記には、唐・新羅連合軍に攻められた百済への援軍派遣に際し、斉明天皇自らが、その可否を占ったとあるようです。恐らく酒船石は占術師が使う道具であり、亀形・小判型石造物は、天皇自らが占いを行う場所だったのではないでしょうか。天皇が占う際には、運命を共にする、あるいは心を一つにすべき高官たちを同席させることがあったものと思われます。飛鳥時代の占いとしては、筮竹を用いる易占、亀の甲羅を使う亀卜等が知られていますが、神の言葉を伝える神託も行われていたはずです。卑弥呼はじめ呪術者には女性が多かったようです。亀形・小判型石造物は、女帝である斉明天皇ならではの遺跡のように思えます。
欧州の巨石文化は、石材を使った建築技術の発展、あるいは信仰から宗教の時代へと変わることによって消えていきます。飛鳥の巨石文化は、強大なヤマト王権の確立、渡来人がもたらした文化と技術を背景に誕生したものと思われます。仏教が隆盛しつつあった飛鳥時代の巨石文化は、そもそもアニミズムとの関連が薄く、墓や呪術系の道具立てを除けば、せいぜいが庭石だったわけです。神仏混淆の日本では、自然のなかにある巨石への信仰は続きますが、仏教寺院や仏像は、より加工しやすい木材や青銅で造られていきます。やや極論かもしれませんが、日本の巨石文化は、おおむね飛鳥時代に庭石としてスタートしたことで、世界に類を見ない枯山水の石庭を生んだと言えるような気がします。