2023年11月7日火曜日

芦雪


伊藤若冲ブームのきっかけを作ったのは、美術史家の辻惟雄とされます。美術手帖誌に連載後、1970年に出版された「奇想の系譜」が、それまでキワモノ的扱いだった江戸中期の6人の画家たちを、アヴァンギャルドという視点から再評価することになりました。6人の画家とは、岩佐又兵衛、狩野山雪、曽我蕭白、伊藤若冲、長沢芦雪、歌川国芳です。2006年、国立博物館の「プライス・コレクション展」で注目を集めた若冲がブームを先行する格好となりましたが、他の画家たちの絵も若冲と併せて展示されるようになります。そして、2019年、辻惟雄のベストセラーのコンセプトを具現化したような「奇想の系譜展」が東京都美術館で開催されます。ようやくこれで三役揃い踏みといった感じになりました。

「奇想の系譜展」には、6人以外に鈴木其一と白隠慧鶴も加えられていました。何とも凄みのある展覧会で、若冲など大人しく見える程でした。なかでも、蕭白と芦雪のパワーには驚きました。今般、大阪中之島美術館で「生誕270年 長沢芦雪―奇想の旅、天才絵師の全貌―」展が開催されました。待望された回顧展だと言えます。大阪の市立美術館は古代美術、東洋美術、江戸期までの作品を収蔵・展示するのに対して、昨年オープンした大阪中之島美術館は近現代美術を専門とします。そこで江戸中期に活躍した芦雪展を開くことは、なかなか面白いと思いました。実際には、注目度の高い回顧展なので新しい美術館で、という意図だったのかも知れませんが、芦雪の前衛性がそうさせたと思いたくなります。

長沢芦雪は、円山応挙の高弟でした。応挙は、日本画の世界に写実性を取り込み、装飾性と融合させて新たな世界を切り開いたとされます。国宝「雪松図屏風」はもとより、幽霊の絵でもよく知られます。ちなみに、足のない幽霊は、応挙の考案とされます。対して、弟子の芦雪の大胆で、奇想天外な構図は、師匠の画風とは大違いです。三度破門されたという話もうなずけます。ただ、芦雪の緻密な筆の運びは、師匠ゆずりとも言えそうです。芦雪の有名な魚の落款は、応挙の言葉に由来すると言います。氷に閉じ込められていた魚が氷が溶けると自由に泳ぐように、自分は伝統絵画から独立し自由に絵を描けるようになった、という話です。少なくとも、応挙の革新性は、芦雪にも引き継がれていたわけです。

奇想の系譜と呼ばれる画家たちが、皆、18世紀に活躍したという点も興味深いと思います。17世紀末から上方を中心に花開いた元禄文化は、経済力を増した庶民の時代の到来を告げています。奇想の画家たちが活躍する18世紀後半からは、文化・文政時代を頂点とする庶民文化の全盛期を迎えます。従来の大名お抱えの狩野派などと異なり、庶民が見ることを前提とした作画が始まった時代とも言えるのではないでしょうか。芦雪の絵は、人々を驚かせ、楽しませることによって、高揚感、幸福感、さらには精神的自由を醸成していたように思えます。それは装飾性や精神性を重視してきた日本の絵画を民主化し、絵画が持つ本来的なパワーを引き出すことにつながったとも言えそうです。

19世紀後半の欧州画壇は、ジャポネズリーからジャポニスムの時代を迎えます。日本の絵画の陰影を無視した輪郭線による平面的表現、あるいは欧州の常識にはまったく存在しなかった大胆な構図などが、その後の欧州の絵画に大きな影響を与えます。浮世絵の大胆な構図は、木版ならではとも言えますが、芦雪が切り開いた新しい絵画の影響を受けて発展したのではないでしょうか。岩佐又兵衛は、浮世絵の祖とも言われますが、それは大胆な顔の描き方によるところが大きいと思います。しかし、芦雪の大胆な構図もまた浮世絵の祖なのではないかと思います。やや極論ではありますが、芦雪は、浮世絵を通じて、欧州絵画に影響を与えたとも言えそうです。余談ですが、芦雪は、46歳のとき、大阪で死んでいます。怨恨、嫉妬による毒殺、あるいは貧困の末の自殺だったという説もあり、真相は不明のままです。(写真出典:nakka-art.jp)

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