ここ数年は、国立劇場で、浄瑠璃と琉球芸能を楽しんできました。私にとって最後の国立劇場は、組踊と琉球舞踊の公演とになりました。国立劇場、国立劇場おきなわ等々で、幾度も琉球芸能は観てきましたが、今回が最も感銘を受けた公演になりました。組踊「女物狂」は、人間国宝の宮城能鳳が指導、地謡には同じく人間国宝の西江喜春(唄と三線)と比嘉聰(太鼓)が並ぶという豪華版でした。演じる立方よりも、地謡の方に目がいきがちでした。それよりも感動したのは、同じく人間国宝の宮城幸子が舞う女踊「諸屯(しゅどぅん)」でした。本土の七・五調と異なり、八・八・八・六調の歌で踊られる女踊は、琉球舞踊の最高峰と言われます。なかでも玉城朝薫作の諸屯は最高傑作とされています。
尚王家の血をひく玉城朝薫は、18世紀初頭、中国の冊封使を接待する踊奉行に就任します。朝薫が接待のために創作したのが組踊でした。今も朝薫五番と呼ばれる二童敵討や女物狂は、組踊の主要演題であり、組踊は朝薫に始まり朝薫に終わると言われます。女踊も多く創作しており、諸屯と並び称される伊野波節(ぬふぁぶし)、今回も上演された「稲づまん」など古典女七踊とされる女踊は、すべて朝薫の作です。なかでも諸屯は、最も高い演技力と経験値が求められる難しい演目とされます。人間国宝クラスでなければ、踊れないとも言われるようです。諸屯は、実にゆったりとした曲調を持ちます。たゆたゆとした曲調こそ、琉球古典舞踊の本質だと思います。
諸屯は、満たされぬ恋を思う成熟した女性の情念を描いているとされます。曲は、それぞれ八・八・八・六調の仲間節・諸屯節・しょんがね節の三節で構成されます。諸屯とはどういう意味なのか気になりました。実は、諸屯節には原曲があり、加計呂麻島の「諸鈍長浜節」とされているようです。現在も諸鈍という地名が存在し、デイゴ並木で知られる長い浜があります。15~16世紀頃から存在する遊び歌だった諸鈍長浜節の一節が諸屯節と一致しているとのこと。また、首里から加計呂麻島に派遣されていた金武王子が、帰任後、恋仲だった奄美の女性を思って詠んだ歌が元歌という説もあるようです。いずれにしても、背景には、尚王朝による奄美進出があるわけです。
花笠を使う伊野波節とは異なり、諸屯は身一つで踊られます。踊りに大きな振り付けなど一切無く、ごくわずかな動きや手さばき、そして目の表情だけで踊りきります。特に印象的なのは、諸屯が、後ろ姿、それもほとんど動きのない後ろ姿で多くを語る舞だということです。YouTubeで、他の踊り手が舞う諸屯を観たことがありますが、宮城幸子の諸屯は、さらに動きがありません。それでいて、より深い情感を伝えてきます。琉球舞踊の真髄は、できるだけ手数を省くこと、と聞きます。中国の弓の名人が弓矢を使わずに鳥を射落としたという”不射の射”に通じるものがあります。名人芸の極致とは、そういうものなのでしょう。名残の国立劇場、最後の最後で、すごいものを観てしまったな、と思いました。(写真出典:okinawatimes.co.jp)