ダニエル・ジョンストンは、ビートルズと並び賞されるほど才能豊かなソング・ライターですが、精神的、身体的な病に苦しみ、生涯を、ほぼアンダーグラウンドのアーティストとして過ごしました。高校生の頃から、ウェスト・バージニア州のニュー・カンバーランドにあった自宅地下室で、自作の歌を安っぽいサンヨーのラジカセに録音していました。その後、オースティンに移り、地元の新聞社に自作テープを持ち込みます。それが始まりでした。多少、知られる存在となった彼は、オースティンに訪れたMTVの取材に押しかけ、取り上げてもらいます。1985年のことです。ただ、地元の有名人になったのも束の間、双極性障害が悪化して、入院を余儀なくされます。以降、10年弱、入退院を繰り返し、その後も薬を飲み続けることになります。
私が、ダニエル・ジョンストンを知ったのは、ドキュメンタリー映画「悪魔とダニエル・ジョンストン」(2005)でした。冒頭で流れる「Story of an Artist」にやられました。家族にも、周囲にも理解してもらえない孤独と苦悩がストレートに歌われ、それでいて例えようのない優しさに包まれた奇跡の歌だと思います。社会的コミュニケーションに障害がある一方で、特定分野で高い集中力を発揮するアスペルガー症候群の人たちは、高い確率で総合失調症や双極性障害といった二次障害を起こしやすいと聞きます。恐らくダニエル・ジョンストンもそうだったのでしょう。アスペルガー症候群と芸術家は深い関係があります。音楽と絵画に優れた才能を開花させたダニエル・ジョンストンは、ベートーベンやモーツァルト、ゴッホやアンディ・ウォホール等々の才能と苦悩を引き継いでいたわけです。
カセット・テープのみだったダニエル・ジョンストンの音楽は、友人が版権確保のために設立した会社でレコード化されます。メジャーに注目された彼は、1995年、アトランティックで1枚だけアルバムをリリースします。評価されたものの、売上は振わず、再びアンダーグラウンドの世界へと戻ります。あまりにも純粋で素朴な彼の歌は、時代とかけ離れ過ぎていました。ニルヴァーナのカート・コバーンは、ダニエル・ジョンストンに魅せられ、代表作であるカエルの「Jeremiah the Innocent」のTシャツを好んで着ていました。それが、ダニエル・ジョンストンの名を世界に知らしめることになります。双極性障害を患うカート・コバーンは、同じ苦しみを持つダニエル・ジョンストンに自分を重ねていたのでしょう。コバーンは、超メジャーになった自分に苦しみ、持病を悪化させ自殺しています。
人と違うというダニエル・ジョンストンの孤独と苦悩は、音楽と絵画によって救われた面もあるのでしょう。献身的に彼を支え続けた家族の存在も大きかったと思います。もう一つ、彼を完全な破滅から救っていたのが、ローリーの存在だったのでしょう。ローリーは、学生時代に彼があこがれた女性です。結ばれることはありませんでしたが、ダニエル・ジョンストンは、生涯、ローリーを思い続け、多くの曲が彼女を歌っているとされます。ダンテのベアトリーチェそのものです。「悪魔とダニエル・ジョンストン」のDVDには特典映像として、映画の公開を機に、彼とローリーが20数年ぶりに再会する様子が収められています。言葉を発することもなく、ひたすらローリーを抱きしめるダニエル・ジョンストンに涙が止まりませんでした。ダニエル・ジョンストンは、2019年、心臓発作を起こし亡くなっています。58歳でした。(写真出典:en.wikipadia.org)