2023年10月8日日曜日

アラベスク

アルハンブラ宮殿を訪れた際には、イスラム建築の心に染み入るような美しさに魅せられました。とりわけアラベスクは印象的でした。アラベスクとは、幾何学的なパターン等を反復して作られるイスラム紋様です。偶像崇拝を禁じるイスラム教の戒律が生んだ装飾美術ではありますが、実は、単なるデザインに留まらない奥深い意味を持っていると言われます。アラベスクには、幾何学的模様、動植物、あるいはアラビア文字のカリグラフィーといったパターンがあります。単に具象性を廃するだけでなく、反復されるパターンが無限を意味し、唯一神アッラーの普遍的存在を象徴しているとされます。アラベスクは、単なる装飾ではなく、祈りそのものではないかとも思います。

アラベスクは、アラブ風というイタリア語がフランス語化したものだそうです。しかし、その発祥はアラブというわけではなく、古代エジプトで生まれ、古代ギリシャやペルシャに伝播したと言われます。古代ギリシャのアカンサス模様等はよく知られていますが、それが5世紀頃、日本にも伝播し、後に唐草模様となります。それがアラブ風と呼ばれることになったのは、イスラム文化のなかで特徴的な発展を遂げたからなのでしょう。そして、その発展に大きな影響を与えたのは、古代エジプトの数学者・天文学者エウクレイデスだと言われます。エウクレイデスは、紀元前4~3世紀、アレクサンドリアで活躍したギリシャ人ですが、幾何学の父とも呼ばれます。

エウクレイデスは、英語読みのユークリッドの方ががよく知られています。いわゆるユークリッド幾何学は、19世紀に非ユークリッド幾何学が登場するまで唯一の幾何学でした。それほどまでにユークリッドの図形に関する定義・公理・定理は完璧に近かったわけです。幾何学は、英語でいえば”geometry”です。接頭語の”geo”は、地球、地上、地理等を表わします。幾何学は、土地測量の必要性からエジプトで生まれました。毎年、氾濫するナイル川が農地を洗い流すため、土地の測量が必要とされたわけです。イスラム社会でも、ユークリッド幾何学は盛んに研究され、その中心となったのがアッバース朝が9世紀にバグダッドで設立した図書館”知恵の館”だったとされています。

アラベスクは、10世紀頃に、ユークリッド幾何学をベースに、ピタゴラスやプラトンといった古代ギリシャの学究的成果を総合して誕生したとされます。アラベスクは、”知恵の館”が生み出した成果とも言えるのでしょう。そもそもメソポタミア文明は、天文学と数学に優れており、数学は、古代ギリシャで生まれ、イスラムで進化したとされます。また、ユークリッドやピタゴラスがそうであったように、数学者は哲学者でもあります。数学は哲学から生まれたとも聞きます。普遍的な真理を探ること、そしてその方法論が同じであるということなのでしょうか。幾何学的正確さと精神性の高さを併せ持つアラベスクは、正しくその象徴的な存在なのかも知れません。

中世までの自然科学の進化は、明らかに中国、インド、そしてイスラムが西洋を上回っていました。近世に至り、西洋が大きな躍進を遂げることになったのは何故か、という疑問があります。よく言われるのは、ルネサンスと宗教改革がゆえ、という説です。いずれも神の絶対性に対して盲目的であった中世のくびきから解放されたから、というわけです。すべては神が創りたもうた、と言えば、それ以上、真理の探究は行われません。分からない、と認めることから科学は始まるとも言われます。ただ、誤解してはいけないのは、ルネサンスと宗教改革は、神を否定したのではないという点だと思います。むしろ、神が創造した真理を、自然のなかに探求していく行為が科学だったとも言えるかも知れません。だとすれば、幾何学的な真理を追究することで神の存在を伝えるアラベスクスも、方法論においては、自然科学そのものと言えるようにも思えます。(写真出典:tehrantimes.com)

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