2023年10月4日水曜日

新婚旅行

宮崎の新婚旅行光景
日本初の新婚旅行は、坂本龍馬とお龍さんの霧島旅行だと言われます。1866年に行われた霧島旅行は事実ですが、初の新婚旅行とは、ややこじつけっぽいところがあります。二人が祝言をあげたのは半年以上前のことです。旅行を勧めたのは西郷隆盛ですが、寺田屋事件で負傷した龍馬の療養を兼ねつつ、幕府方から身を隠すことが目的の逃避行だったのでしょう。寺田屋事件の際、龍馬は、お龍さんの機転で一命をとりとめますが、そのドラマチックな展開と併せ、初の新婚旅行と喧伝されたのでしょう。話の出所は、1883年の新聞小説であり、当時まだ新婚旅行という言葉はなく「ホネー、ムーン」と書かれていたようです。ハネムーンを、新婚旅行と訳したのは、仏教哲学者で東洋大学創始者の井上円了であり、1886年のことです。 

新婚旅行の原型は、19世紀前半、英国の上流階級で始まったとされます。結婚式に参列できなかった親族等を夫婦で訪問するという慣習があったようです。とは言え、両親も同道するなど、新婚旅行と言うよりも挨拶回りといった風情です。日本の”婿入り”という風習に近いようにも思えます。婿入りとは、祝言後、新郎が初めて新婦の実家に挨拶に行くことであり、狂言にも登場する古い風習です。今の形の新婚旅行は、19世紀後半、やはり英国から始まったようです。産業革命による交通網の発達、市民の経済力の高まり、そして植民地の存在等を背景に、観光旅行ブームが起き、新婚旅行も一般化するわけです。明治期の日本では、皇族等が行う例もあったようですが、一般化するのは戦後のことだったようです。

それもそのはず、戦前の結婚と言えば、基本的には家同士が行うものであり、個人対個人という関係が一般化するのは、民主憲法が制定された戦後のことです。戦後復興が進むと、神武景気や岩戸景気といった好況が産業構造や社会構造を大きく変えていきます。二次産業化、都市への労働力の流入が起こると、恋愛観や結婚観にも変化が起こり、婚姻件数も増加します。そして、新婚旅行も浸透していくわけです。行先としては、関東では熱海・箱根、関西では南紀白浜といった温泉地が人気だったようです。1959年の皇太子ご成婚で起きたミッチー・ブームは、TVの普及や恋愛結婚の増加などにもつながります。皇太子ご夫妻が宮崎を訪問した際のTV報道が大きな反響を呼ぶと、南国宮崎が、一躍、新婚旅行のメッカとなります。

当時の新婚夫婦は、皇太子ご夫妻にならって、フォーマルなスーツ姿で宮崎へ乗り込んだようです。宮崎への新婚旅行がピークを迎えた1970年頃には、3組に1組が宮崎へ行っていたようです。この頃、戦後のベビー・ブーマーたちが結婚し、婚姻件数は年間110万件とピークをうっています。その後、新婚旅行の行先は、返還された沖縄へと、そして海外旅行ブームと共にハワイへと移っていきました。考えてみると、新婚旅行の移り変わりも、見事に世相を反映していたわけです。ちなみに、2021年の婚姻件数は50万件と、ピーク時の半数以下となっています。少子化、晩婚化、非婚化が進んだことが背景にあります。かつて主流だった見合い結婚、媒酌人をたてた結婚式など、ほぼ絶滅状態。結婚式を挙げないケースも多く、新婚旅行も激減しているのでしょう。

余談ながら、我が家の新婚旅行の行先は、スペインとモロッコでした。1979年当時、長い休暇など夢のまた夢であり、新婚旅行くらいじゃないと取れませんでした。正月休みとかけて2週間弱の休暇を取りましたが、行先も含めて、当時としては珍しいケースでした。新婚旅行先については、父親から、NYかロンドンに行くなら旅費を出してやると言われました。この際に、世界の中心を見ておくことは有意義だというわけです。旅費を出してもらうのはありがたいのですが、恐らくNYもロンドンも仕事で行く時代が来ると思っていたので、貴重な長期休暇には遠くまで行きたいと考えた次第です。NYに関して言えば、実際、後に赴任することになりました。当時、新婚旅行で初めて海外へ行く人たちが多かったと思いますが、我々夫婦にとっても初めての海外旅行でした。それも含めて、時代を感じさせる話です。(写真出典:pref.miyazaki.lg.jp)

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