監督: パブロ・ラライン 2023年チリ
☆☆☆+
白黒のゴシック・ホラー的映像が特徴的なブラック・コメディです。チリの独裁者アウグスト・ピノチェトを、今も生きている吸血鬼としたアイデアは、実に秀逸だと思います。南米各国の貧富の格差、権力者による支配構造を考えれば、世代を超えて続く権力構造=不死の吸血鬼、という発想は、シンプルで分かりやすいものがあります。この発想だけで、この映画は6割方、成功していると思います。吸血鬼・ゾンビ映画の人気が絶えないことには驚かされますが、単純なホラー映画だけではなく、様々なヴァリエーションも展開されています。特に吸血鬼ものは、人を襲うという側面ではなく、不死の憂鬱をプロットに据えると、哲学的で深みのある映画になる傾向があります。本作も、その枠組みをうまく使っています。陸軍総司令官だったアウグスト・ピノチェトは、1973年、軍事クーデターによって政権を奪取します。倒したのは、史上初めて自由選挙で選ばれた社会主義政権、サルバトール・アジェンデ政権でした。まさに民衆の意志を踏みにじるクーデターであり、左翼ドミノを恐れる米国がバックアップしていたことでも知られます。軍政を布いたピノチェトは、1974年には大統領に就任し、以来、独裁を続けます。その間、徹底的な左翼弾圧を行っています。ベルリンの壁が崩壊すると、米国がピノチェトを支援する理由も消えます。1990年、ピノチェトは、選挙に敗れ、退陣します。退任後も影響力を保持したピノチェトでしたが、在任中の悪事や蓄財が追及されます。しかし、2006年、判決が下される前に死去しています。
吸血鬼ピノチェトは、フランス革命の際に生まれたという設定もうまいと思います。革命が起これば、必ず反革命の動きも起こります。中南米でも革命勢力は闘争を続けてきました。ただ、定着を見た革命政権はキューバくらいではないかと思われます。時代を超えて南米を支配してきた権力者たちは、まさに不死の吸血鬼だと言えます。昨今、南米ではピンク・タイドという傾向が広がっています。赤ではなくピンク程度の穏健な左翼政権が相次いで誕生しています。チリも、ピノチェト後に保守政権が続きましたが、新自由主義経済やコロナ禍で貧富の差が拡大し、ついに左翼系大統領が誕生しました。そのなかで制作されたこの映画は、気を付けろ、吸血鬼は死んではいないぞ、という警告を発しているように思えます。
南米では、保守であろうが、左翼であろうが、政治はポピュリズムがベースとなっているように思えます。南米政権の危うさの源と言えますが、そのなかで古くから経済を支配し続ける富裕層の力はかなり強いものがあります。本作のストーリーは、吸血鬼ピノチェトの隠し財産を巡って展開されます。財産は5人の子供たちに分散されることなく、ピノチェトが持ち続けるというプロットです。まさに、気を付けろ、というわけです。さらに、ここに教会が絡む点も興味深いものがあります。表面的には吸血鬼に対するエクソシスムでありながら、実態的には教会もピノチェトの隠し財産をねらっています。南米では、宗教勢力と言えども、権力者と同衾することも厭わない同類だと警告しているのかも知れません。
ポピュリズム政権が失敗するきっかけは、経済運営の行き詰まりというのがお決まりです。それこそ、まさに世代を超えて富を蓄積してきた富裕層の思う壺であり、保守の巻き返しが起こります。今般広がるピンク・タイドが、安定的な経済運営をいかに実現するかという点が注目されますが、同時に、しぶとい吸血鬼とどう向き合うのかということも大きな課題だと思います。また、南米保守層の後ろ盾として機能してきた米国の影響力が低下し、代って中国が存在感を高めています。中国が富裕層とどう付き合うのかが注目されます。伝統的に、中南米はアメリカの裏庭と言われてきました。今は、まだ淡いピンクだとしても、今後、一層チャイナ・レッドに染まっていけば、裏庭で火災が発生することも懸念されます。(写真出典:en.wikipedia.org)