2023年10月27日金曜日

一斗二升五合

伝法院通りの地口行灯
「一斗二升五合」は、そのまま読めば”いっと・にしょう・ごんごう”となります。一斗は十升に相当し、五升の倍ですから「ごしょうばい」、二升は「ますます」と読み、五合は一升の半分で「はんじょう」、あわせて「御商売益々繁盛」となります。「春夏冬二升五合」と言えば「商い益々繁盛」となります。もともとは江戸の言葉遊びですが、縁起の良い言葉なので、かつては、額にして掛けてある店も見かけたものでした。江戸庶民の好きな遊びの一つが「地口」です。ダジャレに近い言葉遊びです。慣用句化して、今も残っている地口もあります。慣用句と言えば、格言や警句もありますが、例えば”猫の手も借りたい”とか”目からウロコ”といったカジュアルな表現もあります。

地口は、もっとくだけたもので、語呂合わせや掛詞が多くあります。例えば、私も含めて一定年齢以上の人たちは、三重県桑名と聞けば、自動的に「その手は桑名の焼き蛤」と言ってしまいます。”その手はくわない”と桑名名物の蛤を掛けているわけです。ただ、”その手は食わない”以上の意味はまったくありません。「恐れ入谷の鬼子母神」も同じです。”恐れ入りました”と、江戸三大鬼子母神の一つである入谷の鬼子母神を掛けただけです。江戸の流行りが今に残ったのは、恐らく落語や物売りの口上を通じてのことなのでしょう。落語はともかくとして、縁日などの物売りは絶滅状態だと思います。我々が知っている物売りは、ほぼスクリーンを通して見るフーテンの寅さんだけです。

小気味よい口上で、客を寄せて物を売る商売は”啖呵売”と呼ばれます。よく知られている啖呵売と言えば、門司港発祥のバナナのたたき売り、筑波山のがまの油売りあたりでしょうか。その伝統は今も実演販売に引き継がれているとも言えます。また、アメ横のお菓子屋は、まだ店先で啖呵売をやていますが、さすがに地口は言いません。安いよ、おまけを付けるよ、だけの啖呵売は退屈なものです。そこへ行くと、寅さんの口上は人を惹きつけ、集める力があります。何度も聞いているお馴染みの口上ですが、耳に心地良い五七調の滑稽な地口、渥美清のキレの良い語り口に引き込まれます。思わず「買った!」と声をかけたくなります。それは、もはや芸の域であり、渥美清が長生きしていれば、無形文化財登録もあり得たかも知れません。

寅さんがよく口にする地口と言えば、「田へした(大した)もんだよカエルの小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」あるいは「結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ」などがあります。また、寅さんの売り口上は、数え歌形式になっており「物の始まりが1ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりは淡路島。泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりが熊坂の長範」で始まります。「四つ、四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃん立ちしょんべん」、あるいは「七つ、長野の善光寺、信州信濃の新蕎麦よりも、わたしゃあなたのそばがいい」といった具合に、地口を交えながら続きます。そこに、その日売りたい品物に関するアドリブが、随時、入るわけです。

浅草の伝法院通りには、地口と絵を書いた地口行灯が並んでいます。江戸時代、お稲荷さんの初午には地口行灯がよく掛けられたものらしく、今も一部にはその風習が残っているようです。江戸の人たちは、本当に地口好きだったようですが、人付き合いの潤滑油にしていたものと思われます。言葉遊びは、世界中にあるのでしょう。例えば、アメリカのイディオム(慣用句)には、地口っぽいものも多くあります。Okie Dokie(OK)、See you later, alligator(またね)、What’s the deal, banana peel ?(どうしたの)等々、挙げればキリがありません。イディオムを知らないと、アメリカ人同士の会話にはついて行けないこともあります。同様に、日本語を多少話せる外国人であっても「あたりき車力」は通じないと思います。もっとも、地口の多くは、若い人たちにも通じないのでしょうが。(写真出典:intojapanwaraku.com)

マクア渓谷