2023年10月25日水曜日

「ヒッチコックの映画術」

監督:マーク・カズンズ  原題:My Name is Alfred Hichcook  2022年イギリス

☆☆☆

サー・アルフレッド・ヒッチコックは、最も重要な映画人の一人です。かつ、自作へのカメオ出演、TVシリーズ「ヒッチコック劇場」によって、最も良く知られた映画監督だと思います。監督としての51年間のキャリアのなかで56本の長編映画を撮っていますが、うち9本はサイレント映画です。そして、作品のほとんどが商業的成功を収め、サスペンス映画というジャンルを確立しました。それに留まらず、映画の文法を確立した人でもありました。商業的な作品性ゆえ、映画評論の世界では、永らく重要視されなかったようです。1951年に創刊されたフランスの映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」に集ったロメール、ゴダール、トリュフォーといった評論家が、ヒッチコックを研究対象とし、絶賛したことから、その評価が高まったとされます。

言うまでもなく、カイエ・デュ・シネマでヒッチコックを絶賛した若手評論家たちは、その後、映画制作に進出し、監督としてヌーベルヴァーグ旋風を巻き起こすことになります。1966年にトリュフォーが出版した研究書「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」は、長時間のインタビューに基づき、ヒッチコックの映画文法を詳細に分析しています。ヒッチコック研究の最高峰とされるだけでなく、”映画の教科書”とも呼ばれています。本作の「ヒッチコックの映画術」というタイトルは、この本を意識したものなのでしょう。内容的にも、ややマニアックな映画ファン向けといった風情があります。研究され尽くした感のあるヒッチコック映画を、文法的ではなく、ヒッチコックの内面的なこだわりという面から分析しています。

映画は、ヒッチコック自身が自作を語るというスタイルになっています。脚本は、ヒッチコックのインタビュー等での発言に忠実に従い、かつナレーションは役者がヒッチコックの声色で行うというこだわりぶりです。ヒッチコック映画の断片が次から次へと映し出されるだけでも、映画ファンは大喜びだと思います。そもそもオールド・ファンは、ヒッチコックの話をすることが大好きなものです。本作は、高い評価を得ているようですが、ヒッチコック映画という素材の良さゆえ、という印象もあります。新たな視点とされる分析には、さほどの驚きはありません。かつ、ヒッチコックの声色でのナレーションは面白いアイデアですが、一人称だけで語られるドキュメンタリーは、平板なものにならざるを得ない面があります。

サスペンス映画の”ハラハラ、ドキドキ”などは当たり前のように思えるでしょうが、実はヒッチコックの発明です。ヒッチコック映画で登場したプロットの多くが、今でもサスペンス作品の枠組みとして使われています。また、ヒッチコックは、観客をハラハラ、ドキドキさせるために、技術的なアイデアを、様々生み出しています。その一つひとつが、基本的な映画の文法となっていきました。ヒッチコックの代表作を挙げるとすればキリがありません。私のお気に入りは、「レベッカ」(1940)と「北北西に進路を取れ」(1959)です。アカデミー作品賞も獲った「レベッカ」は、その流麗なタッチがロマン派の交響曲を思わせます。「北北西に進路を取れ」は、洒脱さも含めてエンターテイメント映画の最高傑作の一つだと思います。

カイエ・デュ・シネマ誌が生み出したとされる概念に”作家主義”があります。画家、作曲家、小説家等と同様に、映画監督もその個性を表現する芸術家だとする考え方です。今では当たり前になっています。トリュフォーによれば、アート系作家ではないヒッチコックやハワード・ホークスは、娯楽性を徹底的に追求することによって映画の本質を極めた作家ということになります。確かに、ヒッチコック映画は、監督の強い個性が表れているとも言えますが、それ以上にエンターテイメント映画としての普遍性を高いレベルで獲得しています。映画監督を目指す人たちは、まずはヒッチコック映画をすべて見るところから修行を始めるべきだと思います。(写真出典:eiga.com)  

マクア渓谷