私にとってサム・クックは前世代のスターであり、あまり馴染みはありません。ただ、オーティス・レディングが、サム・クックをリスペクトし、多くの曲をカバーしているので、曲自体には慣れ親しんでいます。なかでも死の直後にリリースされた歴史的名曲「A Change Is Gonna Come」は強く印象に残ります。アメリカの厳しい黒人差別の現実、でもいつかは変わるはずと力強く歌い上げます。黒人初のメッセージ・ソングと言われ、バラク・オバマが大統領就任演説で引用したことでも知られます。マーティン・ルーサー・キング牧師の「I have a dream」と対を成す言葉だと思います。米国議会図書館の永久保存盤でもあり、ローリング ストーン誌の「史上最も偉大な曲 500」では第3位に選ばれています。
ある時、サム・クックが所属していたゴスペル・グループは、南部の教会をツアーします。シカゴの黒人街で育ったサム・クックにとって、有色人種の隔離政策が残る南部で受けた衝撃は大きなものだったようです。サム・クックは、その甘いマスク、滑らかな声、抜群の歌唱力で、すでにスターでしたが、ただの”ニガー”として差別されます。このままではいけない、何かしなければならない、という思いが募ります。しかし、ソロ・シンガーとして成功を重ねて行くなかで、何もできず、悶々とした思いを抱えていたようです。そんななか、ボブ・デュランの「Blowin' in the Wind(風に吹かれて)」を聴き、衝撃を受けます。白人のデュランですら、歌で社会を変えようとしているのに、黒人は何もしなくていいのか。
サム・クックは、親密になったカシアス・クレイを通じてマルコムXと知り合います。1964年2月、クレイがソニー・リストンを倒して世界チャンピオンになった夜、クレイ、サム・クック、マルコムX、そしてフットボールのスーパー・スターだったジム・ブラウンの4人だけで勝利を祝います。有名な話ですが、その一夜を脚色した映画「あの夜、マイアミで」(2020)でも話題になりました。翌朝、クレイは、イスラム教入信とモハメド・アリへの改名を発表します。公民権法の制定は間近でしたが、この時点でのサム・クックは、公民権運動を超えて、後のブラック・パワー運動につながる発想を持っていたのかも知れません。FBIは、サム・クックの影響力の大きさに危惧を覚え、監視対象とします。そして、1964年12月、サム・クックはLA郊外のモーテルで、管理人の黒人女性に射殺されます。
差別的なことで知られたLAPDは、ろくな捜査も行わずに事件を処理し、犯人は正当防衛で無罪になりました。しかし、中年女性一人では不可能な程の暴行の痕が残るなど疑わしい点も多く、真相は闇の中です。翌年には、マルコムXも暗殺されます。犯人は、古巣ながら対立することになったネーション・オブ・イスラムのメンバーでした。ただ、後に、当時の潜入捜査官が、警察やFBIの関与を証言しています。そして1968年にはキング牧師も暗殺されます。犯人は、白人の犯罪常習者でしたが、動機を語ることもなく、欧州への逃亡を誰がお膳立てしたかも語ることなく獄中死しています。アメリカは、ヴェトナム反戦運動、学生運動の時代を迎えていました。公民権を獲得した黒人でしたが、差別的状況に大きな変化はなく、過激なブラック・パワー運動が展開されていくことになりました。アメリカの黒人を取り巻く環境は大きく変わりました。ただ、キング牧師の”Dream”も、サム・クックの”Change”も、いまだ道半ばと言わざるを得ません。(写真出典:nishinippon.co.jp)