2023年8月6日日曜日

モッズ

Jane Birkin
昔は、封切落ちの映画を2~3本建てで上映するセカンド映画館があり、中学生の頃には、毎週、通っていました。ただ、いつの頃か、また何故か、セカンド館は、すっかり姿を消しました。その頃、セカンド館でミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望(原題:Blowup)」(1967)を観て、衝撃を受けました。当時観ていた映画と言えば、怪獣、若大将、007系、マカロニ・ウェスタンがほぼ全てでした。こんな映画があるのかと驚き、強く惹かれました。「欲望」はカンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得し、アントニオーニはアカデミー監督賞にもノミネートされています。

「欲望」にも出演していたジェーン・バーキンが亡くなりました。時代の象徴として登場し、その後もセレブリティとして名を馳せ続けた希有な人だったと思います。準男爵家に生まれ、17歳で女優となり、18歳で映画音楽の巨匠ジョン・バリーと結婚。21歳のおり「欲望」に出演。翌年、フランス映画に出演した際、セルジュ・ゲンズブールと出会い、事実婚の関係になります。フランスでは、ブリジット・バルドーに始まるフレンチ・ロリータ系の女優としてもてはやされます。1969年には、ゲンズブールとデュエットした「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」をリリース。性交中を思わせる大胆な曲は各国で放送禁止になりますが、大ヒットしました。物議を醸したものの、フランスのエスプリを感じさせるゲンズブールの名曲です。以降、彼女は、歌や映画、そして私生活で話題を振りまき続けました。

エルメスの看板商品である”バーキン”は、彼女が飛行機で隣り合わせたエルメスの会長ジャン=ルイ・デュマにこぼした愚痴から生まれました。東日本大震災の際には、積極的な支援活動を行ったことでも知られます。決して演技や歌がうまいわけではありませんが、独特のムード、オーラを持った人でした。 ジェーン・バーキンの名前を聞くと、いつも1960年代のロンドンを思い起こしてしまいます。名家に生まれながらも、社会の常識や欺瞞に反抗的な姿勢を決して失わず、モッズとして生涯を全うした人だと思えます。モッズは、1950年代末から60年代、ロンドンに起こった若者文化です。ジャズやR&Bを聞き、独特なファッションを身につけ、イタリア製のスクーターに乗り、深夜営業のクラブにたむろしていました。

モッズという言葉は、モダン・ジャズ、あるいはモダニストが由来とされます。同時期、ロックンロールとオートバイを好むロッカーズというグループもあり、両者は対立します。1964年、両者はブライトンビーチで数千人規模の乱闘事件を起こします。それ以降、モッズは収束に向かったと言われます。アントニオーニの「欲望」は、モッズ文化をモティーフとしたミステリー仕立てになっています。ジェーン・バーキンは、まさにうってつけの配役だったわけです。カウンター・カルチャーの時代、世界の大都市には、似たような若者文化が存在していました。モッズは、ロンドンらしく、どこか洗練され、やや屈折し、そして甘えた都市文化だったと言えます。モッズ文化は、キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」(1971)にも反映され、後のスキン・ヘッズへとつながっていったとされます。

「欲望」の音楽は、当時、まだマイルス・デイビス・クインテットに参加していたハービー・ハンコックが担当しています。また、ヤードバーズがクラブで演奏するシーンは有名です。リード・ギターはジェフ・ベック、サイド・ギターはジミー・ペイジが弾いています。アンプの調子が悪いことに腹を立てたジェフ・ベックがギターをたたき壊して客に投げ込むと、それまでまったく無表情だった若者たちが、突如、熱狂してギターの残骸にむらがります。混乱のなかでネックを掴んだ主人公は、そのままクラブから走り去ります。アントニオーニは、モッズの本質をニヒリズムと見抜いていたかのようなシーンだったと思います。ちなみに、ジェフ・ベックは、平生、ステージでギターを壊すことなどなく、モッズの象徴でもあったザ・フーのピート・タウンゼントを意識した演出だったようです。(写真出典:vogue.co.jp)

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