2023年8月26日土曜日

夏祭

祇園祭
春祭は、農耕の始まりを祝い、神仏に今年の豊作を願うという意味があり、秋祭は、農作物の実りを祝い、神仏に感謝を捧げるという趣旨なのでしょう。夏祭だけは、農耕のサイクルと無関係に思えます。恐らく、多くの夏祭は、盂蘭盆会との関係で行われてきたものなのでしょう。祭とまでは言わないにしても、盆踊りは、全国各地で行われます。盆踊りや精霊流しに由来する祭も多くあります。ただ、お盆とは無関係な夏祭も多くあり、それらは都市部に集中しているように思えます。例えば、祇園祭系の山車とお囃子、あるいは三社祭系の御神輿などです。これらの祭は、疫病退散を神仏に願ったことを起源とする場合が多いようです。疫病除けなら、夏場に多く、都市部に多い理由も頷けます。

思えば、人類の歴史は、疫病との戦いの歴史でもあります。一定の土地に、そこで生まれ育った人たちだけで暮らす場合、疫病に対する集団免疫が獲得されます。パンデミックが起こることはありませんが、文明の進化も遅くなります。ただ、戦争や交易によって、人の交流が起こると、文明の進化とともにパンデミックも発生することになります。しかも、それは人口が密集し、衛生環境も食糧事情も劣悪だった都市部で大きな被害を生むことになります。農耕によって文明が誕生し、文明の進化によって疫病との戦いが生まれたと言えます。あるいは、自然の一部であった人間が、自然をコントロールしようとした瞬間、自然に逆襲されたと言えるかも知れません。

日本最古のパンデミックの記録は、3世紀末から4世紀前半と推定される崇神天皇の時代に起きています。中国や朝鮮半島との交流が活発化した頃と重なります。天然痘か麻疹だったのでしょうが特定できません。民の半数以上が死んだと記録されます。次のパンデミックの記録は、735~737年に起こった天然痘の大流行です。九州で海外から持ち込まれた菌によって流行が起き、平城京には、朝廷が新羅に送った使節団が持ち込んだとされます。その後、全国に蔓延し、人口の25~35%が死んだと推定されています。聖武天皇は、仏教に深く帰依し、東大寺に盧舎那仏(大仏)を建立します。その後も、数十年毎に、天然痘、麻疹、赤痢、マラリア等々の流行が発生しています。

9世紀中葉には、インフルエンザによるパンデミックが、複数年にわたり発生します。民衆は、怨霊の祟りを鎮めるために御霊会(ごりょうえ)を開き、読経とともに、歌舞音曲、相撲なども行ったようです。863年には、朝廷内でもインフルエンザが猛威を振るったため、初めて朝廷主催の御霊会が開催されます。864~866年には、富士山の貞観大噴火が起こり、869年には激烈な貞観地震と大津波が発生します。前後して、火山の噴火や地震が続いたことから、厄災を払うとされる牛頭天王を祀った御霊会が神泉苑で大々的に行われ、祇園社、現在の八坂神社から神輿も繰り出します。これが祇園祭の始まりとされます。明治時代までは、祇園御霊会と呼ばれていたようです。祇園祭こそ、神社系の夏祭の大本だということになります。

天然痘のパンデミックは、その後も、世代が変わる毎に発生を続けます。WHO が天然痘根絶宣言を出したのは1980年のことでした。人類が、初めて、かつ唯一根絶できたウィルスと言われます。エドワード・ジェンナーが、1796年に発見した人類初のワクチン”種痘”が功を奏しました。それに先立つ1792年、秋月藩の藩医だった緒方春朔が人痘法の接種に成功していますし、さらに言えば、4,000年前のインドでも人痘法は行われていたようです。ただ、ジェンナーの牛痘法は、より安全性が高く、瞬く間に世界中に広まったようです。日本でも、1810年には初めての接種が行われていますが、普及したのは40年後だったようです。効果があると言われても、牛の疱瘡を体内に入れることなど、相当の抵抗があって当然です。人類にとっては、種痘も文明の進化の一つですが、一方、ウィルスも進化を続け、そのスピードは人類のそれをわずかに上回っているように思えます。(写真出典:yasaka-jinja.or.jp)

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